先にミス・マープル
の古い映画を見ましたですが、
続くときは続くもので今度はエルキュール・ポワロ。
1985年に制作されたアメリカのTV映画「エッジウェア卿殺人事件」というものです。
当時は、1978年の映画「ナイル殺人事件」から引き続き
ピーター・ユスチノフがポワロ役を務めていた時期で、
本作でもやはりユスチノフ・ポワロの登場と相なります。
ところで、小説で、しかもシリーズとなっているものの登場人物は
読んでいてどうしても読み手なりのイメージが出来てこようというもの。
エルキュール・ポワロの場合はと言えば、
読み手がイメージしやすい情報がはっきりと出されていて、
小柄であること、口ひげがぴんと立っていること、頭の形が卵型であること…と、
外見だけ取って見ても「こんな人だろうなぁ」と想像してしまうのは尚のことではなかろうかと。
こうしたことに対して映像化する側ではどう考えたかは分かりませんけれど、
覚えがある限りでのポワロとなれば「オリエント急行殺人事件」のアルバート・フィニー、
そして今回見た「エッジウェア卿殺人事件」にも出ているピーター・ユスチノフがおり、
かつては最も有名であったというチャールズ・ロートンがいますですね。
なんでもチャールズ・ロートンは、1928年に初めてポワロ役をやった(舞台で)役者さんだそうで、
後には映画「情婦」(原作は「検察側の証人」)でもポワロで登場し、
アカデミー主演男優賞にノミネートされた…ということなんですが、
どうも印象としては妙におちゃらけたふうであるような(映画を未見なので、見なくちゃですね)。
また、アルバート・フィニーは作りこみ過ぎで見ていていささか窮屈に感じますし、
ピーター・ユスチノフは悪くはないとは思うものの、いかんせん「小柄」とはとても言い難く、
几帳面さ、生真面目さの面で弱い気がしますですね。
そうしたときに1989年からのTVシリーズに登場したデヴィッド・スーシェを見たわけですが、
これはもう「おお!」としか言いようがない。
スーシェ版ポワロもまた相当に作りこんでいる(発声まで変えている)と言われますけれど、
アルバート・フィニーの窮屈さはまるでなくあたかも自然に振舞っているかのよう。
そして、ミステリの眼目である謎解きの部分がすっかりわかっていても、
そのふるまい、そのしぐさ、ヘイスティングスとのやりとりを見ているだけでも十分に面白い。
ポワロが几帳面で生真面目であればこそ、そこを笑ってしまうという見方もできるわけです。
と、エルキュール・ポワロ役としては
差し当たりデヴィッド・スーシェに止めを刺すものと思うところですが、
今回「エッジウェア卿殺人事件」を見ていて、びっくらこいたのはですね、
何とこの映画ではデヴィッド・スーシエがジャップ警部として出演しておるのですねえ。
元々ポワロを演じる以前のスーシェは、
典型的な例が「エグゼクティブ・ディシジョン」のテロリスト役であるように
ほぼ悪役ばかりを受け持ってきたようで、今回のジャップ警部役も
何かとポワロに敵対的な姿勢で臨む姿あらばこそのキャスティングでしょうか。
元来眼付きが鋭く、ひげのない口もとの上にはこれまた鋭く大きな鼻がのっている顔付きからは
悪役を想像しやすく、ポワロ・シリーズの中でも「二重の罪」なんかで
彼の顔が大写しになるところでは悪役っぽさがにじみ出てくる感、無きにしもあらず。
そうであっても考えてみれば、
こうしたデヴィッド・スーシエをエルキュール・ポワロ役に充てた制作側の炯眼は大したもので、
さらに今回の映画を見て付け加えるならば、TVシリーズの他のキャスティング、
ヘイスティングスのヒュー・フレイザーにしても、ジャップ警部のフィリップ・ジャクソンにしても
番組の出来に大きく貢献することになっている気がしますですね。
どうやら話が映画そのものから離れてしまいましたけれど、
では「エッジウェア卿殺人事件」は映画としてどうだったのか…。
フェイ・ダナウェイや若き日のビル・ナイなども出演させて、
それなりに豪華に作ったものと思われ、悪くはないですが、
本作に関してはクリスティーの原作を読んだ方が良かろうとなりましょうか。
ちなみに原作の邦訳タイトルは早川書房版が「エッジウェア卿の死」、
創元推理文庫版では「晩餐会の13人」となっていて、この映画の原題も「Thirteen at dinner」。
クリスティーが付けたオリジナルタイトルは「Lord Edgeware dies」のようですが、
これがアメリカで出版される際に「Thirteen at dinner」に改題されたのではなかったかと。
アメリカのTV映画なんで、こちらのタイトルを使ったんですかね…。