折も折の風邪っぴきで、何とも気だるく過ごしておる三連休でして
(といっても、昨日は出勤であったこともあり、いっかな改善に向かいませんが)
何をする気にもならず…というのが正直なところ。
せいぜいソファにごろりと横になり、音楽を聴くともなしに聴くとかいう程度でしょうか。
ただちいとばかり良くなったかなというタイミングで、
映画の一本も見ようかいね(もちろん映画館まで行く気力はありませんです)と、
ウディ・アレン が最近手がけている「国別シリーズ」(作り手がそう思ってるかどうか…)の
「ミッドナイト・イン・パリ」を見てみたのですね。未見でしたものですから。
ハリウッドではそこそこの当たりをとっている脚本家のギル・ペンダー(オーウェン・ウィルソン)。
フィアンセのイネズ(レイチェル・マクアダムス)とその両親とともに、
パリへ観光旅行では来ておりますが、実のところギルはパリに住まって小説を書きたい。
なぜパリなのか?
それはヘミングウェイが、ガートルード・スタインが、そしてスコット・フィッツジェラルドが集い、
とりまくようにピカソやダリといった画家も、コール・ポーターのように音楽家も、
後世に名を残す文化の担い手たちが一堂に会していた1920年代のパリが、
ギルにとっての「黄金時代」であるから。
そして、パリはその当時の残り香を漂わせている(ように思える)から…なんですね。
イネズの友人ポール夫妻ともども参加したワインの試飲会で酔いが廻ってしまったギルは、
踊りに行こうという皆の提案を退け、「街を歩きたい」と一人パリの夜に消えていきます。
ところで、ここに登場するポールという人物ですが、とんでもないペダンティストなんですなぁ。
設定ではソルボンヌに講演で呼ばれたとなってますから、実際に学者かなんかでしょうけど、
おそらくは専門外の美術に関しても、イネズや妻のキャロルら女性陣の前でひけらかしまくり。
専門ガイドと見解が異なろうものなら、
「間違っているのはお前の方だ」と言わんばかり(言ってたかな…)で、
自分の薄学には一点の曇りもないといった調子なんですね。
状況によって違う見方ができるかもですが、それにしても語れば語るほど
俗物っぽさ丸出しのようすには「いるよね、こう言う人。その自信はどこから…?」と
思ってしまいますですねえ。
と、思わぬ脱線はともかく、夜のパリですっかり道に迷ったギル。
折しも午前零時を告げる教会の鐘の音が響き渡りますと、
暗がりの中からずいぶんと時代がかったタイプのプジョーが走り寄り、
後部座席からギルに向かって「乗れ、乗れ!」と手招きが。
ギルとしては「ホテルに帰りつけないことだし…」と同乗すると、
乗り合わせた人物はスコット・フィッツジェラルドと名乗る。
連れていかれた場所で出会う人物たちはといえば、
アーネスト・へミングウェイであり、コール・ポーターであり、
ガートルード・スタインであり、パブロ・ピカソであり…。
当初は目を丸くしていたギルもやがてはこうした人物たちとの交友に舞い上がって…
と話は続いていきます。
思いの濃淡こそあれ、憧れの場所、憧れの時代、憧れの人といったものは
おそらく誰にもありましょうね。
それは近づけないからことでもある。
ですが、思いも寄らず近付いてしまったギルにとっては
ちょっとだけビターエンドになってしまったかもですね。
ですが、このビターエンドはそのあとのハッピービギニングに繋がりそうな予感を残して。
所謂タイムスリップものと言えなくはないですが、
どうしてそうなるのかといった理屈めいたものは一切なし。
それでも、「どうしてって、それはパリだからでしょ」で済ませてしまえるのが
パリの凄さとも言えましょうか。
しかも夜のパリ。観光客が普通に見る昼間のパリは、
いわば日本風に部屋全体を隅々まで明るくして見ているわけですが、夜ともなれば
街灯がぽつりぽつり、ショップのウィンドウから漏れる明かりがほわり、
そしてエッフェル塔も輪郭だけぼんやり浮かび上がっていたりと
ヨーロッパらしく間接照明の雰囲気ですものね。
街の設えも100年この方大きく変わっていないとなれば、
暗がりの中から古いプジョーが飛び出してくるようなワープホールがあっても
不思議ではない気分にさせようというものです。
最後の最後、ギルはコール・ポーターのレコードを買った「ノスタルジー・ショップ」の
女性店員ガブリエルとふいに出くわすことになりますけれど、
その名前からしてもギルの将来に対して何かしら告げにきたと思えると同時に、
もしかしたらガブリエルは自身にとっての黄金時代を未来に定め、
過去からワープホールを通ってきた人だったりするのかもね…と妄想をたくましくしたりも。
とまれ、映画の冒頭に次々と映し出されるのはパリの街角のショット。
あたかも観光ビデオを見てるかのようでもありますけれど、
のっけからパリの魅力に取り巻かれる感があって、
だからこそ出来た映画なんだろうなと思うのでありました。