さあて先日の北欧行の様子を書き記しておこうかと思っとります。
今回はお題を「スカンジナビア紀行」といたしました。
発音的には「スカンディナヴィア」とか言った方がよいのかもと思いつつも、
政府観光局も航空会社もカタカナ書きでは「スカンジナビア」を使ってますので、
ここではこの和製外来語?を使うことにいたします。
が、スカンジナビアと言えば、
ちょうどスカンジナビア航空がデンマーク、ノルウェー、スウェーデン3国による共同出資であるように、
この3カ国(やっぱりフィンランドは北欧とは言ってもスカンジナビアとは言わんですなあ)のこと。
このうちスウェーデンには去年行ったとはいえ、今回の旅はノルウェーとデンマークであって、
「それでスカンジナビアと言って良いのか?!」と思うところですけれど、ご心配なく。
ちょこっとだけ、ほんのちょこっとだけですがスウェーデンも歩いてきましたのでね、
看板に偽りはなしということでご理解いただけましたら幸甚でございますよ。
ただし、主たる目的地はノルウェーのオスロとデンマークのコペンハーゲンではありますが。
とまあ、こういう目的地となれば、どうしたってスカンジナビア航空を使うわけですね。
ところでスカンジナビア航空、スカンジナビア航空と繰り返しますと文字数が多くて大変なので
略称で書かせてもらうことに。
一般的には「Scandinavia Airlines System」の頭をとって「SAS」と言われますが、
かつていた業界(旅行業界ですが)的にはもっぱら2文字のコードを使っており、
個人的にはいまだにそちらが馴染んでいんでいるものですから、
「SK」と行ったらスカンジナビア航空のことと受け止めていただければと思いますです、はい。
で、先にSKは3国の共同出資と言いましたけれど、
成田から便はデンマークのコペンハーゲンに向かいますので、
往路はここでオスロ行きに乗り換え、帰路はコペンハーゲンからダイレクトに帰ってきたというわけです。
ところで、書き出しに当たっては単純に「出発編」とか「旅立ち編」でよかろうと思うところですが、
あえて「SK搭乗編」と付けたのは帰路のことにも触れてしまうからなんですね。
ということで、もっぱらSKのことなんでありますが、実のところいささかがっかりというお話。
まずは機材ですけれど、エアバスのA340なんですね。
これがどうももうくたびれてるなぁという印象。
だからといって、もちろんぼろぼろてなことではないです。
キャビンもリノベーションしたりはしてるのでしょうし。
ただ、座席(当然にエコノミーですが)をリクライニングすると
どうも途中のうまい角度で止まらないようでしたし、
(往路は自分の席が、帰路はひとつ前の方の席がどうやらそんなようす)
機内エンタメも日本発着便なのに日本語で見られるのがわずかしかない。
まあ、英語のを見ればいいのでしょうけれど、
往路は寝ないようにする必要(到着後にしっかり寝るため)から、
しっかり内容をつかまえて見られる日本語のが最適なのですが。
で、ニコール・キッドマンが日本語を喋ってる?「イノセント・ガーデン」を見たあとには
日本映画「藁の楯」を見てしのいだという次第でありました。
逆に帰路はといえば、これは完全に機内では寝てくる関係から
いささかお酒の力も借りたいところながら、
食事のときに提供されるワン・ドリンクを除いて後は有料ということになってました。
もっとも、国際線の飛行機には年に一度乗るか乗らないかくらいですので、
もしかして欧州線エコノミークラスではどこのキャリアでも
フリーのアルコールはワン・ドリンクだけになってるのなら
SKだけをとやかくはいえませんけれど。
ですが、食事自体も(元々機内食に期待してはいないですが)なんだかなだったんですよね。
と、帰路と言えばコペンハーゲン空港では
セルフ・チェックイン機をたくさん用意して効率化を図っているわりには、
バッグ・ドロップのために長蛇の列ができていて、これもまたなんだかな…。
結局のところ何が言いたいかというとですね、
「がんばれ、SK!」との思いからの苦言とでもいいましょうか。
かつてヨーロッパの「3S」とも言えた「SK」「SN」「SR」ですが、
SN=サベナ・ベルギー航空はとうに消え去ってしまい、
SR=スイス航空も無くなって、今スイスと日本を結んでいるのは「LX」という別会社になってる。
つまり淘汰されずに生き残っているのが「SK」だけなのですよね。
昨年ストック、ヘルシンキの往復に使った「AY」(フィンエアー)が本拠地ヘルシンキを
欧州各地への乗継ハブにするよう割り切って日本路線に力を入れていることを考えれば
SKにも同じような取り組み方もできるのだろうに…と思うにつけ、
頑張ってほしいなと思うわけでして。
とまあ、ぼやき漫才のようでしたけれど、
とにもかくにもSKのお世話になって、コペン乗継、オスロに到着したのでありました。