六本木通りを左へ折れ、ちょうど全日空ホテルの裏手へ回り込むように上る桜坂。

最寄駅としては東京メトロの溜池山王駅ということになりましょうけれど、

住宅の宣伝ではありませんが「3駅利用可」、でも実際はいずれをとっても中途半端…

みたいなロケーションで美術展のはしごをして来たのでありますよ。


訪ねた先としては、ホテル・オークラ、大倉集古館、そして泉屋博古館(正式には東京別館ですね)。

一番のお目当てはホテル・オークラなんですが、これは後に譲るとして、

ここでは大倉の3箇所集古館と泉屋博古館のお話を。


いずれも旧財閥のコレクション(前者が大倉、後者が住友)でありますが、

こうして公開しているのはありがたいことでありますね。

で、まずは大倉集古館から。


大倉コレクションの精華Ⅱ近代日本画名品選@大倉集古館


基本的にコレクション展がいつも行われているので、何だかなぁの展覧会タイトルですけれど、

昭和5年(1930年)にローマで大々的に日本美術を紹介する展覧会が開催され、

そこで展示された日本画作品を中心に構成しているとのことでありました。


時は昭和になっており、ムッソリーニが政権を握っていたイタリア・ローマでとなると、

古来の美の中心地だからというのとはまた別に国威発揚的な匂いの感じられるところ。

それだけに大作で圧倒しようという作戦ですかね。大きな作品が多いのは。


中でも横山大観による六曲一双の屏風絵「夜桜」はローマで大層話題になったそうで、

なるほど満開の桜を全面に描いて、しかも煌びやかな色彩には目を奪われたものでありましょう。


ですが、琳派の技法云々という説明があったように思いますが、

この色彩はむしろ洋画の影響なんではないかと思ったりしてしまいます。


そして、見る者に日本画の個性を感じさせるというよりは、

「日本画はすごいだろう」とうむを言わせぬに迫っていくふうでもあるかと。

引いて考えてみますと「日本画ってこうなんだっけ?」と思ったり。


同じくローマ展出品作では例えば大智勝観の「梅雨明け」といった作品の方が

「そうそう、日本画だぁね」と思えるところでありましたよ。

個人的な思いでしょうけれど、余白の活かし方や繊細さといったあたりに「これだよね」と。

その点では、小さめの作品ですが小林古径の「木菟図」もまさに!ありましょうか。


・・・とまあ、名品選をちと穿った目で見てしまったもですが、

お次は大倉集古館から徒歩数分のところにある泉屋博古館の方へ。


テーマに見る近代日本画@泉屋博古館


こちらの方も「テーマにみる近代日本画」という展覧会ですから、

タイトルの「なんだかなぁ」度合いはさきほどとどっこいどっこいですねぇ。


テーマというのは歴史画、美人画、風景画…とそういうカテゴライズによって構成されているわけですが、

そうした関連付けから何かしらを見出せるほどに日本画の鑑賞巧者になっていないものでから、

素朴に一点一点見ていったのですけれど。


まず目を引いたのは尾竹竹坡の「蜀三顧図」で、

曹操が三顧の礼でもって諸葛孔明を迎えるところですので、

中国を舞台とする歴史画になりますが、この枯れた味わいは

先に絢爛豪華を見た後には「ふっ」を息を抜いて楽にできるものと言いましょうか。


もちろんこちらの展示にも絢爛豪華がないわけではありませんが、

このときの気分はもうそういうところから離れがちでしたので、目の行くものはそうでないものばかり。


例えば先ほど「木菟図」を見てきた小林古径の描いた「人形」jという一枚ですが、

モデル?になった仏蘭西人形ともども展示されていて、古径が行ったデフォルメ(?)は

古びていないというか、むしろ昔から「かわいい」を表現する手法は変わっていないのかもと思ったり。

「かわいい」という表現で言うと、原田西湖の「乾坤再明」にもいけることかもですが。


で、こちらの展示で目が釘付けの一枚は、上のフライヤーにもあしらわれているように、

東山魁夷の「スオミ」でありますね。

「スオミ(Suomi)」はフィンランド語で自分の国を指している言葉。

意味は「湖の国」だったかと。


東山作品は印刷で見ても何でみても一見して「きれい、きれい」であって、

ともするとそれ以上でもそれ以下でもないように思ったりしてしまうところがあるんですが、

作品を目の当たりにすると、そうも言ってられんですよ。


森と湖が織りなす縞模様には、微妙な色の違いによる描き分けがなされているのでして、

平板にも思える画面をよく見れば、筆跡による木々の陰翳にも深い味わいがあるという。


去年の夏にストックホルムからトゥルクへの移動で乗ったフェリーからは

まさにこうした夜明けの青が見えたなと思い出したこともあって個人的に気分が高揚したかもですが、

この一作を見られてぐぐっとひきしまったアート散歩のひとときでありました。