そりゃあ食事も良くなったし、医療も進んだし、
高齢化という現象は日本に限った話ではないでしょうなぁ。今さらですが。
そうした関係があったればこそと思いますが、
年令の高い方々を主人公にした映画もよく目にするところかと。
比較的最近見たものでも「カルテット!人生のオペラハウス
」がありましたし、
「しわ
」なんかもそうですね。
もっとも両者は話の根っこの方向が異なっていて、
前者が「がんばろう、わしらもまだまだ!」であるのに対して、
後者の方は「現実と向き合う」的なところがありました。
で、このほど「アンコール!!」という映画を見てきたのでありますが、
どちらかと言うと前者寄りとは思うものの、人生賛歌的なところよりは
家族再生の含みを持つ分、落ち着いた作りという印象を受けますですね。
それにしても、こういう依怙地で人付き合いも悪く、
口からは辛辣な言葉ばかり出てくるという爺さんはどこにでもいんですなあ。
そのまま日本に持ってきても、しっくりくる映画になるのではと思いますが。
とまれ、アーサー(テレンス・スタンプ)はいつも怒ったような顔をしているお爺さんであります。
が、老妻マリオン(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)を(実は自分で気が付いていないほどに)愛しておりますね。
病いで車椅子生活になったマリオンが楽しみにしているのは、合唱サークルで歌うこと。
練習場まではアーサーが車椅子を押していき、練習の間、アーサーは外でタバコを吸いながら、
ぶらぶらと時間を過ごし、練習が終わればマリオンの車椅子を押して家へ帰ることが習慣になっている。
ある時、マリオンは病いが悪化して入院することになるのですが、時には口げんかをしつつも、
いつもダブルベッドの隣にいて互いのぬくもりを確かめながら休んでいたアーサーは、
水枕(後から思えば湯たんぽかと思いましたが、見た限りでは水枕)にお湯を入れて、
いつもマリオンが眠る位置に置き、その隣の定位置に我が身を横たえ、眠りにつくのですね。
この辺りの淡々とした描き方は、何を語るよりも雄弁にアーサーの心情を見せているではありませんか。
「後は好きなことをした方がいい」つまりは余命僅かと宣告を受けて帰宅したマリオン。
当然に合唱サークルへも顔を出したいところが、アーサーは「体をいたわりなさい」をこれを許さない。
一日でも長くマリオンと一緒にいたいからなのだとは、もちろん言いませんけれど。
合唱に行かせてくれるまで口をきかないというマリオンに根負けしたアーサーは、
サークルの皆に迎えられ顔を輝かすマリオンを垣間見る、
そしてやがて行われたコンサートではマリオンが立派にソロを歌いきる姿を垣間見る。
この辺りも、淡々とした描写で語る手法が活きてますですね。
しかし、程なくマリオンは帰らぬ人となり、アーサーは一人になって閉じこもりがち。
そうした中、合唱サークルの音楽の先生に乗せられて、
アーサーは合唱サークルに顔を見せるようにもなり、発表の場も近づいてくるのですが、
さてアーサーは本当に歌うのでありましょうか…。
原題は「Song for Marion」ですから、そりゃ歌うでしょうと想像させてしまう点で
ストレートなタイトルでありますね。
では、邦題の「アンコール!!」をどう捉えたらいいのか。
最初は、音楽に関係するストーリーなだけに安直な付け方をしたのだろうと思ったですが、
内容を思い出しながらしみじみ考えてみると、なんだか深読みできそうな気もしないではない。
演奏会でアンコール曲が演奏される場合に、そのアンコールを呼んだ曲の雰囲気に合わせて、
つまり前の曲の延長線上で別の曲を披露することがある一方、
例えば颯爽とした曲を終えてアンコールがかかると一転して静かな曲調のものが演奏されるということもあります。
この場合、奏者としては表現の多様性を見て、聴いてもらいのかもしれませんけれど。
この映画に置き換えてみれば、「演奏される曲」というのはこれまでのアーサーの人生なのではないかなと。
最後の最後、音楽の先生に唆されようがなんだろうが、
アーサーの歌うという行動で人生にアンコールが掛ったわけです。
ここでアーサーがアンコールで披露することになるのは、これまでとは違う人生。
先に「家族再生の含みを持つ」云々と言いながら、
あらすじ部分でいっかな触れませんでしたけれど、
アーサーは息子との関係が至って険悪なのですね。
こういってはなんですが、アーサーの性格からして
子供との関わり方が下手だったということなのでしょう。
ですが、そうだろうと思ってはみても当事者どうしは長年のすれ違いは
もはや修復不可能とも思しきところまで来ていたわけです。
ですが、自分の感情を閉じ込め続け、ぼそりとした言わないひと言は辛辣だったり、
聴きようによっては誤解を与える言い方だったりしていたアーサーが
マリオンのために、ひいては自分のために歌うことを通して、自分を解き放ったのですね。
息子のとの関係を再構築して、その後を生きる、
これがアーサーにとってのアンコールだった…てなふうに考えてみることもできそうです。
とはいえ、やっぱりこの邦題は
「音楽に関係するストーリーなだけに安直な付け方をした」ものでありましょう。
それでも、この邦題のおかげでいささか映画を深読みできたとすれば、
結果オーライではありますけれど。