徳冨蘆花記念文学館 からほんの僅かな登り坂を上がりますと、
ほんのつい最近に公開されるようになった史跡に行き当たるのですね。
解体・移築改修工事が終了したとして、今年(2013年)の5月3日から一般公開が始まった
渋川市史跡「ハワイ王国公使別邸」であります。
まずは渋川市教育委員会が設置した説明板の内容を引いてみるとしましょう。
この建物は、ハワイ州が独立国だった当時(明治31年・1898年まで)の駐日公使ロバート・ウォーカー・アルウィンが所有し、別邸として使用したもので、伊香保の人たちは「アルウィンさんの別荘」と親しみをこめて呼んでいました。日本からハワイに官約移民が渡って、昭和60年(1985年)に百年を迎えたことを記念し、ハワイ独立国当時の伊香保との交流を示す貴重な国際交流史料として史跡指定されました。
徳冨蘆花のような日本の文人ばかりでなく、伊香保は外国人にも愛されたことは、
先に竹久夢二伊香保記念館 で見たホテルの宿帳に明らかですけれど、
ハワイ王国の駐日公使にも気に入られていたようで。
かつてのハワイは王国であり(カメハメハ大王が有名でありますね)、
ありていにいってアメリカに騙し取られたような形で合衆国の州になってしまうことは、
昨年の夏に見た映画「プリンセス・カイウラニ」にも描かれておりますね。
そして、先の教育委員会の説明にもあるように、
明治になって武士の役割が無くなって余ってしまったこともあって、
移民を送り出すといったつながりがハワイ王国とはあったわけですね。
一時は、ハワイ王族と日本の皇族間での婚儀なども考えられたのだとか。
ハワイにしてみれば、欧米に呑み込まれかねないとの意識は日本と共通のものであって、
共同戦線を作りたかったのではないですかね。
その後のハワイの運命は歴史が語ってくれますが。
ところで、当時のハワイはひとつの国として、日本にも外交使節を送っていた。
それがハワイ王国公使のアルウィンということになりますけれど、小国なればこそで、
このアルウィンさんはハワイの人ではないのですね。アメリカ人です。
ですが、日本とハワイの間に立ってあれこれと尽力する役回りはきちんと果たしたような。
そして、何より日本が大好きだったようで、日本人の奥さんをもらいますが、
何でも日本政府公認という点では国際結婚の第1号であったそうでありますよ。
そんな日本好きのアルウィンさん、伊香保の温泉もまた気に入って、
別荘を持ちたいけれど、当時は外国人の不動産取得は制限されてたものですから
奥さんの親戚名義で手に入れたのが、この別邸であったとか。
(この辺の事情は、軽井沢なんかで外国人が直接に別荘をもてなくて…というのと同じですね)
と、日本びいきとしきりに言いましたけれど、
普通に日本家屋にも見える別邸の中を覗いてみれば、よもやのフローリング。
なかなか一朝一夕に習慣は変えられないということでありましょうね。
ちなみに東京都杉並区にはアルウィン学園という学校法人があるそうで、
保育園、幼稚園と同時に保育士の養成学校をやっているのだとか。
このアルウィン学園の創設者がハワイ王国公使たるアルウィンさんの娘さんだそうで。
以前、杉並に住んでいたですが、ちいとも知らなかった…。