またまたどんな話だか知らずに見に行った映画のお話。
たまたま映画関係のサイトで見かけたのだと思うのですけれど、
クリストファー・ウォーケンとフィリップ・シーモア・ホフマンとが入っている弦楽四重奏団って?!
矢も楯もたまらず(?)見に行ってしまった「25年目の弦楽四重奏」でありました。
創立25年目を迎え、コンサートの準備に余念のないクァルテットのお話ですので、
邦題のまんまと言うべきでしょうけれど、ちいとばかりこのタイトル、損しているような。
クラシック音楽の中でもひと際渋いと思われる弦楽四重奏をタイトルにしているわけですが、
この「弦楽四重奏」という漢字五文字からしても硬さとある種の敷居の高さを、
すでに醸しているのではと思えてしまうものですから。
タイトルだけで考えたら、敬遠される率は相当高いのではと思うところでありますよ。
オリジナル・タイトルは「A late quartet」。
作中ではベートーヴェン
晩年(死の前年)に作られた弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調作品131が
モティーフとして使われていますけれど、この晩年の作品を「A late quartet」と呼ぶこともできましょう。
もちろん結成25年目となった「フーガ弦楽四重奏団」そのものをも指しているのは言うまでもない。
ただ邦題のように「25年目」と言ってしまうと、
25年がある程度長い年月を経ているとの想像には繋がるものの、
必ずしも「Late」の意味合いが出ないですよね、それもまたいささか残念な点と言えましょうか。
で、お話の方でありますけれど、
以前丸谷才一さんの小説「持ち重りする薔薇の花」でも焦点が当てられていたように
たった4人ながら個性をぶつかり合わせて、しかもひとつのまとまった完成品を提示しなくてはならない
弦楽四重奏団のメンバーたちは苦労が絶えない…というお話。
されど、みんなそれぞれにそれぞれの思いを飲み込んでいるがために、
一度ぎくしゃくし出すとそもそも問題の根っこはどこにあったのかも分からなくなるほどに、
あちらからもこちらからも次々と問題が噴出するといった具合であります。
25年といえば、結婚で言えば俗に「銀婚式」ということなわけですが、
この年月というのは振り返ればあっという間のようでもあっても、
確実に25年分の何かしらが折り重なってできているのですよね。
折り重なっているものは、当然うれしいこと、たのしいことばかりではない。
哀しみや怒りもあったでしょうけれど、結果として25年経過しているという事実からして、
(解決が図られたものもありましょうが)個のレベルで我慢してしまったこと、
飲み込んでしまったこともままあったのではと思われるところです。
クァルテットのメンバーにしてみれば、
何だかんだ言ってもこのメンバーで作り出す音楽はすばらしい、
だからこのメンバーで作り出す音楽を、このメンバーを大事にしなくては(だから個としては我慢を…)と
なったのでしょう。
それが、最年長メンバーのチェリスト(クリスファー・ウォーケン)が
病気が元で引退することを伝えられたメンバーは
一気に箍のはずれた樽の如くにばらばらな動きを見せ始める。
それぞれにこれまで飲み込んでいたことはばらばらながらそれを吐き出しにかかったときに、
たった4人なればこそですが、それぞれの理由は「そうだろう、そうだろう」と
感情移入できたりするくらいの卑近なもの。
それこそ、おそらくは誰にとっても。
それだけに、いろんな人に見てもらえる内容のお話にも関わらず、
タイトルで敬遠されてはもったいないかなと思うわけでありますよ。
何かを選んだときに、その代わりに何かを捨てざるを得なかったりするようなことを繰返して
人生は流れていきますね。
自分ひとりであってもそういうことがあるのに、
それが二人(例えば夫婦)であったり、三人、四人(例えば家族)であったりすれば、
自分にとってベストではないにせよ、全体にとってはベストなのだろうと思える選択を
繰り返して行くことになるかもしれません。
ふと振り返ってみて、
「あれは自分にとってベストではない選択だった」と思い返すこともあるかもしれませんけれど、
結果としての「今」をどう受け止めるかということに繋がってきますですね。
そして「今」をもしかして少しでもネガティブに考えそうになるときに、
この映画を見てみるのも良いかなと思いますですよ。
もちろん、予めそうした意識でもって見に行ったわけではありませんけれど…。