「国別シリーズ」となるとすぐに頭に浮かびますのが、エラリー・クィーンのミステリー。

ですが、昨今やおら映画で「国別シリーズ」を展開し始めたのかと思うのがウディ・アレンでありまして、

「ミッドナイト・イン・パリ」」、「恋のロンドン狂想曲」に続いて「ローマでアモーレ」が公開中。


映画「ローマでアモーレ」

先の二作も見ようかなと思っているうちに終わってしまったのですが、今度はローマが舞台とあって、

どうせなら「洋行事始め回顧録」がまだローマから離れないうちに 見に行くかと思ったような次第でして。


以前「のだめ」の最終章を見たときに「パリは何とも絵になる街だ」と思ったわけですけれど、

こうしてみるとローマの方もどうしてどうして。


二度行ったきりで、それもずいぶんと経ってしまっているものの、

なんだか妙に懐かしいといいますか、なんとなくどこだか分かりそうな場所の

あちらこちらが映し出されるものですから、「お!」となろうというものです。


そういえば映画の中でも、

かつてローマに1年間滞在したことのあるという建築家(アレック・ボールドウィン)が

「(よく知ってるのだろうから)市内観光に案内してよ」と言われるところがありますけれど、

要するに一人の人間が多少の歳をとるくらいの年数では

古代ローマ以降二千年余のこの都市の変貌など小せえ小せえ…てなことでもありましょうか。


というようなロマンを湛えた都市であって、かつ「アモーレ」が似合う街。

ここでの「アモーレ」は日本人的な語感からすれば、時に「恋」であり、時に「愛」でしょうけれど。


ただアモーレ、アモーレというとなんだか気恥ずかしくなる一方で、

アリダ・チェリの「死ぬほど愛して」(Sinnò me moro)を思い出してしまいますですね。

1959年にピエトロ・ジェルミ監督が撮った映画「刑事」の主題歌になってました。

これはこれで「情の深さ」といいますか、そういう面でこれもイタリアというふうではないかと。


さりながらウディ・アレンは方向性はかなり異なってはいるものの、

やっぱりイタリアらしいようなところを感じさせるといいますか。

オムニバス的にいろんなパターンの「恋」や「愛」を散りばめてあります。


展開的には寓話としか捉えようがないとか、

いやいやむしろファンタジー的な不条理をかかえてるといった部分も含まれますが、

アレンの才人ぶりが人物の交錯と場面転換をうまくあしらった脚本に現れているのではないかと。


ところどころで移り変わる視点がフォーカスするのは4つの同時並行ストーリー。

それが例えば大団円でひとつにまとまってということもなく、オムニバスに終始しますけれど、

そのバリエーションのいずれもが恋とか愛、そしてそれらとも違う人の生きようを描いて、

どれをとっても「あるある」状態であるような。こういう人っているようなぁって。


基本的には現実的な設定ながら、

ふたつだけ説明無しで見る側の想像に委ねられているところがありますね。

ひとつはさきほど触れた建築家のジョンが建築を学ぶ学生ジャック(ジェシー・アイゼンバーグ)との絡み。

もうひとつは最初から最後まで分からないままに

一介の中年男レオポルト(ロベルト・ベニーニ)が有名人扱いされてしまうところ。


前者では、ジャックが危うい恋の三角関係に嵌り込んでしまうかという時々に

ジャックの脇に現れては「ああでもない、こうでもない」と釘をさすジョンですが、

これはアメリカ映画によくある「耳元でささやく天使の役回り」ということになりましょうか。


ただ、それが映画の中では実在している前提で、ジャックの他の人たちにも見えているはず。

なのにジャック以外にはさしはさむジョンの言葉は相当にスルーされるのが不思議なところ。

もっとも、絶えずジャックの傍らへの現れ方自体が「おやぁ?」ではありますけれど。


そして、後者の方はウディ・アレンが洒落たラブ・ストーリーというだけではやはり我慢できずに、

ついつい入れてしまったと思われる皮肉に満ちたファンタジー部分とも言えましょうか。

最後の最後、唐突に有名人状態から解放されたレオポルトのとった行動は想定内ですけれど、

なんだか映画「まぼろしの市街戦」を思い出してしまいましたですよ。


おっと、オペラに関わるエピソードに触れてませんけれど、

そう何もかも書いてしまうのもどうか…ということで、

気になる方は映画館でご覧くださいませ。


オムニバスのそれぞれのストーリーに、

きっといろんな見方ができるものと思いますですよ。