お訪ねいただきありがとうございます。
私は自治医科大学を卒業し、現在人口700人ほどの村にある診療所で、村唯一の医師として勤務しています。
■「運不運」の医療から脱却するには
──それでも課題は残る。
2000年代初頭から申し上げていたのは、運不運の医療からの脱却。最初にかかった医師の力量で治療結果が左右されるのが実態です。
以前休日に山に登り、手を負傷しました。診療している医院を見つけましたが、標榜する診療科目が整形外科以外に脳神経外科、消化器科とやたらに多い。大丈夫かなと思いながらも受診すると、70代と思われる医師は「大したことはない。犬ならぶらぶらさせて治す」。
しかし、その横でレントゲン写真を見ていた技師が「先生、指、折れていますよ」と。指を固定されたまま数週間経過し、明確な治療方針も示されず、不安になりました。別の医院を受診したところ、「もう少し遅ければ、悪い状態で固まって動かなくなりましたよ」と、思い切り指を曲げられ、絶叫しました(笑)。
最初の医者で決まる日本の「運不運」医療の現実ということに関して、十分理解出来ますし、患者さん側がそう感じるのは当然のことだと思います。
ただ医者になれば必ずといっていいほどよく言われる言葉があります。
それは 「後医は名医」 です。
この言葉は研修医になってすぐ指導医の先生から言われました。
後から見る医者は、病気を診断する上で絶対的に有利なのです。
一つ例をあげてみましょう。
あなたが、身体が怠くて、咳が出て、38度くらいの発熱もあるので近くの病院に言ったら風邪だろうと言われて風邪薬などを処方されました。
しかし一向に症状がおさまらないので、より大きい総合病院に受診、呼吸器の専門の先生に診てもらい、血液検査や胸部CT検査など施行され、最終的に肺炎と診断されて入院になったとします。
患者さんの立場からすると、「最初みた医者が肺炎を風邪と誤診した、あと一歩受診が遅れたら危うく肺炎で命を落とすところだった。」
そこまでではなくとも、それに近いものを感じる方もいるかと思います。
しかし、おそらくですが多くの医者は「最初の医者の判断も間違いはなく適切なものである」という風に考えるでしょう。
38度くらいの発熱、咳、身体の怠さで受診した場合、まずウイルス性の風邪を考えるのは至って普通のことです。
それに対して風邪薬を出した、これも全然間違ったことではないし、おそらくほとんどの患者さんはそれだけで数日内に症状が改善するかと思います。
ただもちろん、中には稀ではありますが肺炎を発症する方や、そもそも風邪が原因でない方、例えば癌などの病気が背景にあるため、発熱や咳、倦怠感などの症状を呈する方がいるのも事実です。
そのような方を最初の診察だけで完璧に見極めることははっきり言って不可能だと思います。
ではどうするか。
まず医者は見落とすと数日内に命を落としてしまうような危険性の高い病気でないことを確認します。
わかりやすい病気でいうと心筋梗塞や重症の肺炎などが代表的かと思います。
そして、それら疾患が否定的となった場合は、まず一般的で、妥当性が高いと思われる治療(上の例でいうと風邪薬を処方する)を行います。
それでも治らなければ、再度受診してもらい、CTやMRI検査など精密検査を行うことで、より重篤な病気や稀な疾患が隠れてないかチェックしに行きます。
以上が診療の基本的な考え方になるかと思います。
つまり、後から診察する医者は「一般的な治療を行っても治らない、より特殊な病気の可能性がある」ということを踏まえた上で診察を開始できます。
最初にみる医者とはそもそもスタートラインが違うのです。
なので、後から診る医者は、最初の医者と比べて、圧倒的に正しい診断にたどり着きやすいというのはあると思います。
そのことを医者は理解してるので、基本的に前医のことを悪く言いません。
医者は皆、心のどこかで「後医は名医」ということを感じているのです。
ただ最初の医者が優秀であれば、ちょっとした雰囲気の違いであったり、診察所見、検査所見から重篤な病気が隠れている可能性にいち早く気がつけるというのも事実です。
なので、この記事のタイトル
「最初の医者で決まる日本の「運不運」医療の現実」
に対して基本的には異論はありません。
実際ありふれた症状の訴えの中から、重篤な病気が隠れてるかどうか、を最初の診察で気付けるかどうかは、医者の経験的なものであったり、直感みたいなものが大きく影響しているような気はしますし、医者の技量が問われる部分だと思います。
まとまりない文章になってしまいましたが、今日はこの辺で。
ではでは。