僻地で働く医師として思うこと Part8 医者のいる島・いない島をみて③ | KMMのブログ

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人口700人程の村にある僻地診療所での勤務が終わり、現在は大学病院で勤務しています。
診療を通じてたことや、個人的に気になったことなど適宜書いていこうと思います。

さて今回も医者のいる島、いない島を観て感じたことを書いていこうと思います。

 
今回は前回のブログ(僻地で働く医師として思うこと Part7 医者のいる島・いない島をみて②)の続きになります。
 
まず前回のおさらいになりますが、普段から何でも診てくれて、相談に乗ってくれる、急に体調が悪くなった時の対応から、健康診断の結果についての相談まで幅広く対応する医療をプライマリー・ケアと言います。
 
番組では、なんでも診てくれて、どんな相談にものってくれる、幅広く対応ができる医師の存在こそが、超高齢社会を迎えるにあたり直面する様々な問題を解決する鍵になるとまとめていました。
 
そこで今回は、高い水準でプライマリー・ケアを行える医者が、超高齢社会を迎える今後の日本において、本当に必要とされていくのか?
について私なりの意見を書いてみようと思います。
 
まず僻地であったり、離島では高い水準でプライマリー・ケアを行える医者が必要とされている、これは間違いないことだと思います。
 
番組では渡名喜島の医師が、自分でレントゲン撮影をし、骨折で受診した患者さんに対しては、ギブス固定までされていました。
 
総合病院に行くには、一日一本しかない連絡船を使わないといけないような離島では、骨折したとなると、まず島唯一のお医者さんのところに受診して、なんとかしてもらう、これはごく自然なことだと思います。
 
ただ都市部ではどうか?
一つ例を上げて考えてみましょう。
家から歩いて5分のところに渡名喜島の先生のような、どんな患者でもみてくれる、開業医の先生がいたとします。
一方で、家から車で10分、距離にしておよそ5km程離れたところに整形外科専門のクリニックがあったとしましょう。
あなたの親が家でこけて、手首を骨折したみたいで、手首がひどく腫れて痛がっています。
さて、あなたはどうしますか??
 
もちろん家のすぐ近くの何でもみてくれる開業医の先生に連れていくという方もいると思います。
しかし、車でちょっと走ってでも整形外科専門の先生のところに連れて行くという方の方が多いんじゃないでしょうか?
現在は情報社会ですので、その先生が整形外科の専門医を持ってるか? とか、口コミはどうか? とか、なんなら出身大学まで調べたりする方もいるでしょう。
たとえどっちの先生に連れて行っても、ちゃんとギブス固定してくれて、骨折が治るという結果に至ったであろうとしても、「万が一なんかあったら?」みたいなことを考えると、やはり専門の先生のところに連れて行こうって判断する方が多くなるのが実情かと思います。
 
私は現在の僻地診療所で働く前は、今いる県にある大学病院に勤めていました。大学病院で私の持つプライマリー・ケアの能力が必要とされたかというと、必ずしもそうとはいえなかったように思います。
確かに役立ったと思える場面は幾つかありました。
しかし「これなら自分でも何とか対処出来そう」と思うような場面でも、「専門医がすぐ近くにいるのだから、下手に手を出さず、専門医に任せた方がよい」という空気みたいなものはどうしても感じてしまいます。
 
都市部に行けば行くほど、また病院の規模が大きくなればなるほど、プライマリー・ケアに対する期待は薄くなっていく、そのように私自身は感じています。
 
もちろん高齢者は複数の健康問題を抱えている場合が多いので、色々な訴えに幅広く対応できる医師が必要とされるというのは正しいと思います。
 
しかし渡名喜島の先生のように子供からお年寄りまで診察し、自分でレントゲン撮影をしたり、骨折の患者さんにはギブスを巻いたりと、高い水準でプライマリー・ケアを行える医師が、今後の超高齢社会の救世主みたくなっていくかと言われれば、どうなのかなぁと思ってしまいます。
 
ただそういった先生がもっと評価される世の中にはなって欲しいなぁと、私自身は願っています。
 
今日のところはこの辺で。
 
また僻地診療所にいて感じたことや、母校である自治医科大学のこと、中学や大学受験のことなど色々と書いていこうと思います。
 
ではでは