巷は春休みで、春スキーを楽しんでいる方もおられるのではないでしょうか。

本日は、小学6年の冬休みのスキー帰りの列車の中での出来事をご紹介します。

 

一家で長野県の斑尾高原へスキーに行き、帰りは3ヶ日の最終日=1月3日の晩に上り最終の特急列車に乗りました。

時刻表では、長野駅を18時頃に発車して終点の名古屋へは21時半頃に到着、となっていた記憶があります。

かなりの混雑が予想された為、父ははじめからグリーン車を第一希望にして予約ました。

一家5人に確保できた席は、2人掛けの2つが離れた場所になってしまい、1人はこれまた離れたところの窓側でした。

発車30分前に長野駅に着き、弁当とお茶やジュースを買い込んでホームへ行きました。

乗車する列車は既にホームに入線しており、9両編成のうち普通席車両の8両は、デッキだけでなく通路にビッシリ立席客という超満員状態で、発車の際にドアを閉めるのにもたついて5分くらい遅れて長野駅を発車しました。

(381系振り子式電車の特急しなの)

 

グリーン車のデッキにはさすがに立ち客はおらず、私達一家は乗車すると、父と弟、母と妹、そして私1人で3ヶ所に分かれて着席しました。

周囲を見渡したところ、グリーン車も始発の長野駅から満席でした。

発車してまだ車掌さんのアナウンスが流れている時に、幼稚園くらいの子供連れの女性が大きなカバンを持ってグリーン車へやってきました。

客室に入ってすぐの席に座っていた母に「奥さん、娘さんを膝に乗せてその席にうちの子を座らせてもらえませんこと。うちの子は体が弱くてこのまま3時間半も立つのはムリなんです」と絡みだしました。

近くの席の人が「ここはグリーン車だよ。指定券持ってないんなら自由席に行きな」と言ったところ、顔を真っ赤にして「グリーン車だからなんだっていうんですか!ほかは通路も人がびっしりで、この子を床に座らせる隙間もないんですよ!」と言い返しました。

他の人に絡んでも同様に断られ、私が座っている所へ来ると、隣の席の父と同年代の男性に「ご主人、息子さんは充分大きいのでうちの子に席を譲ってもらえませんか!」と言い出しました。

その男性は「この子はヨソの家の子や。親に言うて」と返しました。

すると私に直接「あんたは充分おっきいんだから、うちの子に席を譲りなさいよ!」と絡んできました。

そこへ父が来て「さっきから聞いてたら何様のつもりだ!」と怒鳴りつけました。

それでもDQN母親は「この電車がどんなに混んでいるかわかってるんですか!」と引きませんでした。

なんでも「1ヶ月前の12月3日の朝の9時半に千種(ちくさ)駅のみどりの窓口に行ったら2時間近くも並ばされて『特急も急行もみんな満席です』って言われたんですよ!」と主張しました。

乗客の1人が「おれは隣の鶴舞(つるまい)駅に5時から並んだぞ」と言っても「譲ってあげようとは思わないんですか!」と金切り声を上げました。

そして尚も、他の乗客に「うちの子に席を譲って下さい!」と絡み続けました。

 

乗客の1人が「車掌さん呼んできてやるよ」と言って立ち上がるとその前に立ちふさがり「やめてよ!そんなことされたらギュウギュウ詰めのデッキに追いやられちゃうでしょ!うちの子は体が弱いんですよ!」と言い続けました。

そこへ車掌さんがやって来て「乗車券・グリーン券を拝見させて頂きます」と検札を始めました。

乗客の1人が「そこに立ってるお母さん、グリーン券持ってないってさ」と言いました。

車掌さんはその母親に「グリーン車はデッキや通路にお立ちになる場合でもグリーン料金を頂くことになっております」と言うとDQN母親は「だったら結構です!」と言い、グリーン車を出て行きました。

 

長野駅を出て最初の停車駅の松本駅へは2~3分遅れで到着したものの、ホームはものすごい人だかりでした。

発車の際にドアを閉められない状態だったようで「お荷物、お体をお引き下さい」というアナウンスが何度もあり、ホームでは駅員が「しなの号は既に5分以上遅れおります!この後の急行きそ号(午前2時頃の夜行列車)か、明朝7時半に当駅始発の臨時しなの号(上り=しなの1号の後続列車)をご利用下さい!無理にお乗りになろうとすると扉を閉められません!ご協力お願いします!」と呼びかけを行っていました(いかにも国鉄らしいイヤな言い方です)。

 

当時特急しなので運行されていた381系振り子式電車は、当時はまだ座席の背もたれに取っ手が取り付けられていませんでしたので、立ち乗りの乗客は走行中の大きな横揺れでさぞ大変だったはずで、乗り物酔いをした人が多くいたかもしれません。

実際、塩尻駅から中津川駅にかけての急カーブが連続する区間でも容赦ない高速運転でした。

終点の名古屋へは15分遅れての到着となり、新幹線や他の特急や急行へ乗り継ぐ予定だった乗客はきっと冷や汗ものだったことでしょう。

大丈夫だったのは国電や地下鉄へ乗換える乗客だけだったかもしれません。