父は、自分の恥を雪ぐためにも、何が何でも私を京都大学医学部へ進ませたかったのですが、実情は医学部どころか大学受験自体が厳しい状況でした。

後に精神病理学・発達心理学・精神分析を学び、高校生の時に勉強に全く身が入らなかったのは父に対する無意識の抵抗だった、という仮説に至りました。

 

父が学業に干渉しなかった中学時代の成績は、学年450人中300番程度でしたので、学校では中の下という状態でした。

ところが、私が育った市は中学校間の学力格差が大きく、私はトップ3の中学へ通っていたので、実際には市内ではほぼ真ん中の成績でした。

県内の中学3年生が受験する統一模擬試験では、後日配布される分析表にそれははっきり明記されていました。

 

高校へ入って以降、父が私の勉強方法へ一々口出しするようになって成績は急降下しました。

私はなおのことイージーリスニングではフランク・プゥルセル(1913~2000)に、ロックはジミ・ヘンドリックス(1942~1970)に、ソウルはヴァン・マッコイ(1940~1979)やバリー・ホワイト(1944~2003)に、クラシックではドイツの指揮者オットー・クレンペラー(1885~1973)の芸術にのめり込み、自分もクレンペラー同様に古典型対向配置でブルックナーの交響曲全曲(第3・第4・第8は第一稿)を指揮したいという願望に駆られるようになりました。

又、ブルックナーやモーツァルトの宗教作品もヴィーン少年合唱団を起用して指揮したい、という誇大妄想を抱くようにもなりました。

しかし、学校の成績と、自分が演奏できるのがピアノではソソナチネに収録されているモーツァルトのソナタやベートーヴェンの小品が数曲とヴァイオリンではモーツァルトのきらきら星変奏曲(ただしスローテンポ)だけという現実に「日本には自分が入学できる音大は存在しない」と悟り、担任にそのことを踏まえた上で、ドイツ(旧西独)に私でも入れそうな音大はないか、という相談をしていました。

念の為、担任と音楽の教師の前でピアノの実技としてモーツァルトのピアノソナタ第15番(現・16番)を披露しました。

(↑私が高校生の頃のスタイルに最も近い演奏です)

音楽の教師は「まるでドイツ人の演奏を聴いているみたいだなぁ」と言い「オイゲン・ヨーフム(1902~1987)のブルックナーみたいに、解釈へのこだわりが強く出ているね」という言葉を引き出しました。

テンポが遅かったのは、You Tubeのイングリート・ヘブラー(1929~2023)は芸術的判断によるものであり、私は技術的理由によるものです(要はヘタくそ)。

 

進学志望国をドイツにした理由は、ドイツそのものへの憧れがあったのと、親にナイショで独学でドイツ語を勉強しており、ドイツ人の校長とドイツ語でのかなり突っ込んだ会話が成り立っていたからでした。

私が通っていた高校はドイツ系のカトリック修道会が運営しており、ドイツ(旧西独)の情報は結構入りやすい実情がありました。

そして、ミュンヘンにある系列の修道院からは「ミュンヘン音楽大学(現=ミュンヘン音楽・演劇大学)ならば、筆記と実技(楽器が1種類)と面接の3形式での入試で、音楽的センスも含めて総合的に合否判定を行っているので、日本の音大に入れない日本人が多く進学している」という情報が入りました。

しかし、勇気がなくて両親に話せないまま高校2年の2学期の進路相談の日を迎えてしまいました。

(続く)