1つの例としては、所持しているフランク・プゥルセル楽団のレコードで、モノラル盤やステレオ最初期盤を聴いていると、その頃のパリはかなりのんびりしていた、という雰囲気が伝わってきます。
当時はスマホなどなく電話も全所帯へ普及していない時代だったはずで、腕時計も自動巻きはおろか手巻きが当たり前で、今のようにクオーツや電波時計で秒刻みのシビアな社会ではなかったはずです。
私・弟・妹が幼かった頃、父は子守唄代わりにヴィーン少年合唱団のレコードを就寝時に聴かせていました。
妹が小学校に入った頃から、この習慣はなくなり、私たち兄弟妹はこのレコードのことを忘れてしまいました。
私が高校1年のある日、学校から早く帰宅したので、父のレコードラックをゴソゴソ覗き見してしまいました。
すると、懐かしいヴィーン少年合唱団のレコードが見つかり、父のオーディオでそのレコードを聴いてみました。
そのレコードは、ヨハン・シュトラウスの【皇帝円舞曲】と、シューベルトの【のばら】と【鱒】以外はモノラルでした。
てっきりすべてステレオだと思っていたのに、特に思い出深かったメンデルスゾーンの【妖精の合唱】がモノラルだったことにある種の衝撃を受けてしまいました。
その音源がYou Tubeに上がっていたのでご紹介します。
当時の機材では、演奏のすべてを収音することはかなわなかったはずで、実際にはもっと起伏と表情に富んだ演奏だったに違いありません。
早速レコード会社へ問い合わせの往復はがきを出してそれらの録音年代を問い合わせましたが、レコード会社側でも正確に把握しておらず、モノラルの曲は1950~1955年頃で【皇帝円舞曲】等のステレオ録音の曲は1960~1962年という返事がきました。
これが端緒となって1950年代のヴィーンはどんな雰囲気の町だったのだろう?と考えてしまい、それをきっかけにドイツ語を独学で勉強するようになりました。
2021年5月16日に 1954年のモノクロ映画【ゴジラ】をカラー化してほしい(↓)、と以前ここで述べたのと矛盾しますが、モノラル時代のパリやヴィーンに強い憧れを抱いてしまいました。
https://ameblo.jp/joseph-99/entry-12674711495.html
又、生まれてから浪人生まで暮らした町も、1960年代~70年代前半は割とのんびりしていたことを今も懐かしく思い出しています。