日本では1975年に哀愁の挽歌L'été indienとして紹介された曲(原題を無理矢理訳すと“インドの夏”)は、最初はイタリアのトト・クトゥーニョToto Cutugno率いるコーラスグループのALBATROSがAfricaと題して英語歌唱で発表しました。
その曲を、フランスのプゥルセル一門とアメリカ人ながらフランスで活動していたジョー・ダッサンJoe Dassin(当然、フランス語歌唱)がこぞってカバーしてフランスで大ヒットさせ、それが揃って日本へ紹介されました。
フランク・プゥルセル版
レーモン・ルフェーヴル版
ポール・モーリア版
ジョー・ダッサン版
日本ではフランスのヒット曲ということになってしまい、アルバトロスは消し飛んだ格好になりました。
立ち読みした当時の音楽雑誌の記事では、フランク・プゥルセルが教え子の2人へ「一門でフランスのヒットチャートを席捲しよう」と持ち掛けたのが事の始まりとされていました。