先週は“利き手の変更”という珍事に至ったいきさつをご紹介しました。

ところが、それ以前より私は「本当は右利きではないのでは?」という思いを抱いており、中学1年の時にその一つが現実になりました。

 

中学1年の1学期に同級生とトラブルを起こし、担任と校長は両親へ「このようなトラブルを跳ね返せるように強くならなくてはいけない」と働きかけ、2学期から校長が顧問をしている軟式テニス部に入ることになりました。

さて、右手に初めてテニスラケットを持ち、最初の1週間は素振りとランニングだけでしたが、先輩部員が1人ついてサーブとレシーブを丹念に指導してくれました。

ところが、いくらやってもレシーブは空振りの連続でサーブはどこへ飛んでいくかわからない状態が続きました。

これを見た校長は「左手でやってみろ」と仰天発言をしました。

先輩部員は「いくらなんでもそれはかわいそうですよ」とかばってくれましたが、校長は「右利きでもテニスだけは左という生徒を何人も見てきた」というので、ラケットを左手に持ち替えて素振りからやり直しになる、と思ったら、校長は「今すぐ持ち替えてそのままサー・レシ(サーブ&レシーブ練習)をしろ」と指示してきました。

最初の数本は違和感があって空振りしましたが、そのうちにレシーブがちゃんと返せるようになり、サーブは1本目から成功しました。

その後、アンダーカットという変化球サーブも左で無事に打てるようになり、レギュラーにはなれませんでしたが、他校との試合では前座試合に出してもらえるまで上達しました。

 

私は小学生の頃から球技が嫌いでした。

野球やソフトボールでは、バッティング(右バッターボックス)はすべて空振りでファールすら打ったことがなく、投げても飛距離が同級生の半分以下で、苦痛でした。

その原因は、実は左利きなのを知らずに右手でやっていたことでした。