今日はキハ181系気動車の初代・特急しなのの思い出です。

(キハ181系/名古屋のリニア鉄道館にて)

それは1974年頃の真夏の夕方のことで、長野から名古屋へ向かう復路でのことでした。

長野駅では、弟とコンビを組んで無事に家族5人分の自由席を確保できました。

自由席車内は、通路にびっしり立ち席が出るほどの混み具合でした。

 

キハ181系気動車はエンジン唸らせて長野駅を出発し、信越本線(碓氷峠・上野方面)から篠ノ井線(松本・名古屋方面)が分岐する篠ノ井駅へ向かって全速(電車特急と同じ時速120キロ)で走りました。

篠ノ井駅を通過して急な上り坂区間に入りましたが、カーブがほとんどなかったので全速走行のままでした。

やがて急カーブが連続する区間に入り、かなり減速しての走行となりました。

と・・・しばらくしてブレーキがかかって山の中で止まってしまいました。

(キハ181系はもともとエンジンの冷却機構に問題があり、夏場はカーブがきつくて速度が出せない上り急勾配区間でエンジンがオーバーヒートすることがありました)

 

しばらくして車掌さんが「エンジンの点検をするのでしばらく停車します」とのアナウンスがありました。

この時、立ち席の家族連れのお父さんが自分のお子さんにこんな話を始めました。

「ここはもともとウバステ山ゆうとこや~山に捨てられたじいちゃんやばあちゃんの恨みで列車のエンジンが止まってもうたんや~じいちゃんやばあちゃんは大切にせなあかんでぇ~」

ちょうど日が暮れて外が暗くなってきていたので、怖くなった私はそのおじさんに「ウバステ山ってホンマにあるんですか?」と聞いてしまいました。

これを聞いた父が私に「お前はバカか、ここは姨捨(オバステ)山だ!」と言い、そのお父さんは「あ、バレてもうた!」と舌をぺろりと出していました。

 

立ち往生して30分くらいしてから再び車掌さんのアナウンスがあり「長野駅から応援の機関車が来たので、連結して一旦篠ノ井駅へ戻ります」とのことでした。

機関車を後ろに連結して篠ノ井駅へ戻ると、その重連のディーゼル機関車を先頭に連結し直し、運転を再開して塩尻駅へは1時間半の遅れで着きました。

塩尻駅で方向転換してからは急な下り坂になる為、そこからは機関車の応援なしで運転を続け、名古屋駅へは1時間50分くらいの遅れで着きました。

 

オバステ山もウバステ山も同じ姥捨山と書きますが正式には冠着山(かむりきやま)です。

特急しなのは長野~松本間は冠着峠を、塩尻~木曽福島間は鳥居峠という急勾配の難所を通っており、現在の3代目のコンピューター制御の383系振り子式車両でも、冠着峠を上る時は時速75キロくらいにスピードを落とします。

 (383系/名古屋駅にて)

カーブだけならもっと速く走行可能な感じの区間ですが、冠着峠はそれだけ勾配がきついようです。