日本人は繊細なところが 良いところ | 〜全惑星意識の旅〜愛と星よみ〜 Tao KAORI

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愛と星よみ Tao KAORI
(たお かおり)
全惑星意識は愛への梯子。恋愛や人生が苦しい時、宇宙法則にふれることで『愛の創造性』を思い出すブログです

スピリチュアル美ューティー 
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愛と星よみ   Tao Kaori

~全惑星意識への旅〜


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いつも読んでくれてありがとうございます

このブログは
【愛】【全惑星意識】
に向かう為の
恋愛系スピリチュアルブログです







奈良に来て 
毎日が片付けなどに終われてますが(^◇^;)
少しずつ落ち着いてきて散歩にも
行ったりしてます






まだ 1週間ほどしかたっていませんが
奈良にきて感じるのは 
都会的になりすぎてない所が良い街



●自然
●人間の街
●動物(鹿)



絶妙なバランスで
共生してる




何か一つだけが強く主張してくるような
圧がなく


全てが調和的に
ただ在る=beingを感じます





古い歴史を感じる土地でありながら
古いだけではなく伝統を継承しながら



現代らしい和として
生かすことを街に感じます





フランスとかも古いものを
とても大切にする文化だけど
奈良にも、あらゆる所で
それを感じます






雑貨屋さん
食器屋さん


奈良散歩をしていると

そのバランスの良さをさりげなく感じる
ことが多く



粋だね♡

スタバも素敵です




日本の『美しい在り方』を
当然に大切にして残そうとする



外部からきた人間からすると
無理のない形での『日本の精神性』を
大切にしているようにもみえます









日本人の全ての人には 遺伝子レベルで


繊細さ
細やかさ


を 
持っていると思うのだけど





繊細であり
細やかだからこそ




質の良いものを提供できるし
細部まで行き届くことを
自然に考えることが出来るのが
日本人の素晴らしいところウインク






その日本人の
『素晴らしいところ』を
あるべき形で掘り起こしたい
気持ちがあります





愛は細部に宿る
といいますが



和食の素晴らしさ
和の美しさに




触れた時




世界の人が 
その美しさに驚き魅了されるのは




細部まで行き届く
丁寧な感性があることを
物質の背後に感じるから
と思う







古事記の小野善一郎先生や
占星術家の松村潔さんなども



戦争で日本が負けたことで
全てが変わった


的なニュアンスをおっしゃってますが
(良くも悪くもね)






でも そこから


海外などに 変に憧れてしまったり
海外のほうが 日本より優れていると




極端にしてしまうと
自己が不在になる






本来性を
忘れ過ぎてはいけない






経済的な発展をすることで
合理性や 生産性の大切さも学べ 
日本は物質的に豊かになったのは確かだけど






でも 例えば

効率が悪くても 遅くても
『丁寧に細部まで意識できる』

のは、簡単ではない

細部まで 丁寧であろうとする
日本のこころは


愛そのものだと思うのですね






私は 今 奈良に来て1番 
個人的に嬉しく感じることは



観光目的だけではない部分でも
日本の『素晴らしさ』を
が残っているように感じるところ








私たち 夫婦はコロナ前に
よく海外に行ってましたがね




日本の空港に帰ってくる度
なんか 残念だな〜と
いつもと思っていたのは





日本の大きな空港、街、家には
日本らしさのほぼ陰りがないこと




つまり 



日本らしさがないので
『日本に帰ってきたんだ』
と感じれるような景色も建物も
ほぼ無い
殺風景な感じさえする









松村先生があるコンテンツで 


『全国どこにいってもそんなに変わらない。
主要な駅に入っているのは全部同じで
つまらない』



的なことをおっしゃってたのを読んで
深く同感したのですが






私たちも
全国でセミナーをしていた頃
それを感じていた





だいたい 主要な駅には
エキュートがあって全国各地 
近代的な雰囲気に寄せた
百貨店や 駅の雰囲気があり

福岡も東京も仙台も 


駅の周りは
ほとんどそんなに変わらない印象


都会になれば なるほど
日本ぽさはないし
どこに入っても似たようなもの



と、感じていた










ても 奈良には微妙に
『日本の美』を愛する意識を
あらゆるところに感じてます






話しは変わりますが
日本人はもともと 感性が繊細だから
その『繊細さを自覚しないと』
その細やかで 丁寧な才能を
何に使っていったらいいのか 
分からなくなり



そのエネルギーが余っている才能の矛先を




人間関係とか
小さな問題に向けて




神経質なほどに
繊細で細かくなってる




ように見える事がある








でも 本来 
その方向性は
人間関係に神経を使うよりも



今を楽しみ 味わい
生きることに
繊細かつ 丁寧に
愛でることが大切
なのでは⁈






今を生きることには おざなりで
現在は


合理性が優位になり
関係性に細かくなりすぎてるのも
多い気がする






社会が
合理性と生産性と 
スピード感への
価値を強めすぎてしまった為




その中で
『繊細さや 丁寧さや 味わう』
という



本来あるべき
細やかな愛の状態は



逆行している感じさえあり
どう使い、どう出していったらいいのか?




今 日本の社会では出番がなく
 合理性優位でわからなくなってしまってるのが
集団的な日本人の課題のようにも思う






合理性と生産性とスピード感
を求めていけば
ロボットのような感じになるし
味気ない感じ




そうすると、プライベートの
生身の人間の関わりにおいては
『優しさ』や『思いやり』が
失われやすいので




孤立が深まり
距離が遠くなる




のでは?と思う
孤独死などが 増えまくるのも
経済中心すぎて



生産性のないもの
合理的じゃないものには



人が冷たくなり 
損得以外に


関わりあえない価値観を
社会が良しとして
強めてきてしまうようなことに
なってしまったのでしょう。






小野 善一郎 先生が古事記の
大祓い祝詞の冒頭の一文について
よく熱く語ってくれていた




それは

『八百万神等を神集へに、集賜ひ
神議りに議賜ひて…』


と続くのだけど コレは



一つのことを決める時に神様であっても
ヤオロズの神を全国から全員集めて、毎晩、毎晩
全員の意見をきいて 話しあって
色んな人の意見を聞いた…




みたいなお話しなのですが
(少し違ったらゴメンなさい)





こんな


生産性のない
面倒くさい
無駄な時間
合理的じゃないことを





日本の神様たちは
大祓祝詞の冒頭ででてくる
勢いで 大切にしていたんだな…




と知った時





私自身 神様の在り方に
衝撃を受けたことがあります






それは

私たちの全ての人が本来持っている
『他者を理解したいと思う』
心なんでしょう