不眠症への道のり⑤ | がんばる子育て主婦 不眠症とおさらばしました。

がんばる子育て主婦 不眠症とおさらばしました。

体力勝負の子育て中に不眠症になってしまいました。克服するためにいろいろ考えました。今は心も身体もより元気に過ごせるためにやるべきこと、やめるべきことを探っています。

新しい生活リズムに慣れた頃…


毎度の引っ越しで思うけど、やっぱり半年かかるよね。


仕事もしていないし、PTAもやらなかったし、娘を幼稚園に送ったらあとはだいたい予定なしの毎日。


ふと、そろそろ飲まなくても寝れるんではないかい?と気づく。


その割に現実的には、PMSの波もあり、眠剤は緩やかに増えている。



ひどい日は、マイスリー5mgを飲んでも考え事の延長みたいな浅い眠り。すぐに意識ははっきりしてくる。

1時に追加。→また浅い眠り
3時に追加。 もはや意地になる。
いい加減眠りやがれこの身体め! てな気分。


マイスリーは一日10mg上限なのに、合計15mgでも満足に眠れないといよいよ鬱な気分で泣けてくる。


身体はしんどいし、それなのに昼寝も出来ない。

幼稚園のお迎えをしたら、次は習い事の送迎だ。その場で一時間待つ日もある。
ただただしんどくて、早く一日が終わってほしいのに、夜が来るのがこわい。




もう嫌なママ友もいないし、緊張する環境じゃない。


新しい環境は私を苦しめるような人も出来事もなにもない。


私の言動が歪んでるからママ友とトラブルになったんだと自己否定の日々だったけど、新生活は、普通に毎日楽しい。


私は、歪んでるとか考える前の普通の自分だったことに気づく。




不眠は精神的なことが原因だと思っていたのに、今度は不眠が精神的に追い詰めるという悪循環に。



大した悩みなんてないのに、このまま一生、眠剤がないと眠れないのかもしれない…

私の身体はいつの間にか壊れてしまっていた。修理が出来ないのだ。という絶望感。




一時的に不眠症状が出ているのだと思っていたが、こうして私は、自分は原因不明の不眠症だと思い知ったショボーン


自分では大丈夫だと思っていたけど、随分と無理を重ねていて、壊れてしまったのかもしれない。↓↓


突然の東京転勤。本当に右も左もわからない土地に悪阻の真っ只中に引っ越しをして以来、頼る相手もない中、必死で子育てを頑張ってきた。
夫は仕事をバリバリ頑張っていて、帰りはいつも遅い。

気づけば6年。
転勤族の多い土地に住んでいたのもあり、出来た友達も次から次へと去っていき、子どもの年齢が上がると新しく友達ができるような機会はなく、周りは心を許せない人ばかりになっていた。
時々帰省で大阪に戻っても、盆休みや正月なんて主婦はみんな用事あるし、友達ともだんだん疎遠になっていた。
私は、寂しく寂しくなっていた。

終わりの見えない時間に私は許容オーバーだったのかもしれない。

ただひたすら、先のことは考えない!一日一日終わらせていって365回繰り返せば一年で、それを淡々とやるだけ。とそんなことを毎日思っていたから。
子どもの可愛い時期にそんなんだから、勿体無い時間を過ごしたなぁと思うえーん





そして大阪に戻ってきて一年。
かかりつけの婦人科の先生に、精神科・心療内科を紹介されることになった。

(ベルソムラを飲みだしたきっかけはそこの心療内科でした。ここからは6/27の「心療内科」というブログに繋がります。)