さて承前。(11/20up)

自分の『ミュージカルエリザベート』の観劇を全て終わったところで、作品そのものについての感想を書いてみようと思います。


『エリザベート』を望海さんで、と知った時、これはチケ難確定と思いました。一度でいい、どんな席でもいいから観たいと望み、アンテナを張って発売情報を待った真夏の決戦前。

いくつ申し込めば一つとれるか?と戦々恐々として迎えた抽選発表は、予想に反して怒涛の当選で…

十二分に確保できたので早々にエントリーをやめました。

一つは娘に、ほかにもいくつかを知人に引き取ってもらい、私の手元に3つ残しました。

かなりの数エントリーしたことはたしかですが、8割以上の当選率でした。運は…良かったと言えるでしょう。



ダイヤオレンジ総括


ミュージカルを構成する大きな要素、楽曲はたしかにいいと思います。そしてそれを演ずるどの役者さんたちも作品に負けないすばらしいパフォーマンスをみせてくれました。でも…物語の主人公たるエリザベートの生き方は、私にはどうにも共感できるところがない。かわいそうとすら思えないんです。


実は私は以前から観劇のあと、モヤモヤを感じていました。宝塚歌劇以外では見たことも、見たいと思ったこともありません。

今回の初見のとき、(望海さんでなかったら観なかったな…)とあらためて思い知らされました。やはり物語の主人公にほんの少しだけでもなにか共鳴できるものがなければ、観劇は辛いものになりますね。



だから以下、作品の批判では断じてありませんが、

『ミュージカルエリザベート』の大ファンのかたは、このあとはちょっと注意してお進みください。



ダイヤオレンジ皇妃エリザベートの望みとはなんだったのか


①まずスタートから、皇帝の妃となることの覚悟が全くないのに驚かされます。

由緒ある高位貴族の家に生まれ育ったものの、皇妃になる予定は無く、フランツヨーゼフの求婚は寝耳に水。まだ幼いと言っていい(16歳)彼女は、見目のいい???身分の高い男の熱烈な求婚に舞い上がってしまったのだろうなー。宮殿でぜいたくな暮らしをしながら、自分のやりたいようにできると思いこんでいたのだろうか?フランツは「皇帝に自由はない、皇妃も同じく義務を負う」と言ってたけど、都合の悪いことは耳に入らなかったということね?


②生まれた子どもを姑に取り上げられてしまったことは気の毒ではあったけれど、それって当時の上流階級としてはまぁまぁ普通のことだったですよね?政治への協力を盾に子どもの養育を取り戻したあげく、結局は放置かい…ショボーン

私がエリザベートのセリフで最も受け入れられないのは、とりすがるルドルフに対して「(あなたの気持ちが)わからないわ」というところですかね〜。庶民の家族のように近くで一緒に暮らすことはできなかったとしても、そもそも「わかりあう」ような努力をしてこなかったのでは?


彼女はいったい何が望みだったのでしょう?

妻でもなく、母でもなく、国母でもない。

公私ともに自由…

いや自由と言えば聞こえがいいですけど…

彼女が自由と呼ぶものに、どれだけの人間が振り回されたことか。

「私の人生は私のもの」といとも高らかに言いながら、パン一つミルク一杯すら、人の手を借りずに手に入れたものは何もないことについても、矛盾は感じていないのでしょう。


物語は『パパみたいになりたい』という場面から始まりますが、そもそもこの憧れのパパというのが妻の目を盗んで不貞をはたらくわ、当主の役目を放り出して出奔するわの、「無責任男」の典型。ここがそもそもエリザベートの原点となれば、その後の展開は推して知るべしでした。

普通なら自分勝手、悪女とも言っていいのに、逆に悲劇のヒロインのように受け取られるのは、バッサリ言って美人だったから。美人ゆえにオーストリア皇妃となり、最後は殺されてしまったから。ヒガミと受け取られるかもしれませんが、そもそも私のヒガミなんてなんの価値も影響もありません。笑笑

しかし美人でなかったらここまで取り上げられることがなかったのも、あながち嘘でもないだろうと思います。



ダイヤオレンジバンドワゴン効果と作品の魅力


多くの人が『エリザベート』に夢中になるなかで、私はメジャーリーグの大谷翔平を思い出すことがありました。今や国を挙げて応援している感のある大谷選手。野球の中継も全く公平でなく、ドジャースに偏った解説をしてましたし、ワールドシリーズは、なんとNHKの地上波で放送していました。大谷を応援しないヤツは非国民ぐらいの勢いでメディアを占領し、(たぶん?)日本中が熱狂しました。はやりに乗り遅れまいという、バンドワゴン効果もあったでしょうが。


大リーグの与える影響よりはずっと狭い領域ですが、ミュージカル界隈では、『エリザベート』がこの大谷翔平に当たるのではないかと感じます。『エリザベート』を賞賛しないのはミュージカルファンにあらず、的な圧。界隈が狭いだけにもし否定的なことを言おうものなら、という怖ささえあります。


あらためて言いますが、私もエリザベートご本人でなく、この「作品」に惹かれる一人。作品のもつ魅力なら語ることができます。

落日のハプスブルク家という他にない煌びやかな設定、王家を巡る暗殺や処刑、そして自死というドラマチックな筋立て、演者の技量が明らかになる、キャッチーなメロディラインの抗えない引力。その中で繰り広げられる嫁姑問題(かなり公的ではあるが)という、卑近なテーマ。地理的にも時間的にも立場的にも自分とは隔たりがありながら、同じ女として共感できそうな気がしないでもない(のかな?)


音楽の魅力ははずせませんが、特にその構成は秀逸だと感じます。同じメロディで別の歌詞を歌っているところが何箇所もあります。場面も歌詞も違うし別の歌のように聞こえますが、実は同じ楽曲で、芝居の中にテーマが繰り返し現れてくる。芝居の進行にセリフを載せて歌うので、違和感も不自然さもありません。

モーリス・ベジャールの『ボレロ』ほど極端ではないですが、2時間半の間浸食され続けることが快感に感じてきます。初めて見ても、芝居の進むうちに(これ前にも聞いたことある)という安心感に包まれます。生の観劇はほんとうに情報量が多く、よほど慣れても消化しきれません。なじみのものがあると観客も(少なくとも私は)気持ちに余裕ができますね〜


かくして『ミュージカルエリザベート』は「エリザベートを見た」という多くの人の熱狂を巻き込みながら、今後も再演を続けていくのだろうなぁ。


キャストボードに毎回長い列ができていました。中には縦にしたり横にしたり拡大したりと何ショットも撮る人も…エリザベアのマスコットや、アクスタと一緒に撮ろうとする人もいます。皆さん何にそれほど熱狂しているのか?と、冷めた気分で眺めていましたが、(みんながやっているからという)これぞバンドワゴン効果でしょう。ちなみに私も記録のために1枚だけ撮りました。



ダイヤオレンジ望海さんのこれからに期待すること


さて私が観るより前に観劇した友人が、「望海さん、素晴らしかった!お花様の後継者になったんじゃない?」と言ってきましたが、私は望海さんにエリザベート役者になってはほしくない。彼女の実力を示すにはふさわしい演目だったし、この世界で生きていくキャリアを積んだとは思いますが、エリザベートを繰り返すのは望んでいません。新たな作品で、新たな自分を切り拓いていく才がきっとあると思っていますから。絶対すばらしい出来だろうという意味で想定の範囲内だった『エリザベート』でなく、私たちの想像を超えていく新しい望海さんが見たい。



たとえばもし、望海さんがまた『エリザベート』にエリザベート役で出演することがあったら、きっとまたチケットの手配は考えるでしょう。ただその時は、どこか一日程だけ申し込んでみて、それが当選しなければ観劇は諦めると思います。

しかしもしそれがゾフィー役、あるいはトート役(!)なら話はまた別。新たな望海さんを見たいと願うでしょうねー。期待値を上回るワクワクを必ず差し出してくれることを信じています。


今日また新たな作品出演が解禁されました。

『神経衰弱ぎりぎりの女たち』


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(リンクがうまく張れなかったので、スクショを撮ってはりつけました)


ああやはり!


もう、一歩先へ。

次から次へと楽しませてくれそうです。