1/9(水)11時公演、KAATにて。
同級生に声かけいただきました。
なんと最前列、しかも中央!怖いくらい(笑)
12月のはじめに梅田DCでの公演、ライブ中継もあっての年越して昨日から神奈川なので、内容は既に知られているものと考えていますが、もしどうしてもネタバレがイヤな方は観劇が済んでからでお願いします。

今日は(なんたることか!)夫の叔母(母親の妹)の葬儀当日。
新年すぐに亡くなったので火葬場の空きを待っていて日程が決まったのもギリギリでしたが、夫にはその日は観劇予定なので(そもそも行けるかを聞かれてもいませんでしたし)行けないと断っていて、了承を得たつもりで、朝支度をしていると「今日葬式出られない?」と聞かれてビックリえ?!今?仕事なら休むけど(笑)行けないって言ったよね?と思いましたが、最期の別れ、何か思うことがあるのだろうと中座することにして出かけてきました。大人の分別よね。
振り分けも見てなかったので縣以外に誰が出るのかも知らず、音彩唯ちゃんがヒロインか、と幕が上がってから知るありさま。
始まりは音彩唯ちゃんやら、縣やらが語り手となり話が進むので、(朗読劇なの?)と警戒モード。
正直一幕は、主人公が何をしたいのかわからなくて、世界観も掴みがたく時折意識が飛びながら観ることになりました。
あすくん演ずる病床にある地理学者オズワルド(娘は音彩唯)が「君は何をしたいんだい?」と尋ねたのを聞いて、(我が意を得たり)という感じ。そうそう、私もそれが聞きたかったよ。
華世京演ずる金の亡者?のペテン師に操られていることがわかっても、自分の作り出した空想のフォルモサという国に囚われ続ける主人公。よほど魅力的な空想だったのでしょうが、見ている側として若干鼻白む感じなのが、フォルモサというのが台湾を指していると知っているからでしょうか。1700年代の初頭でも東洋の国々に対する認識はこの程度なのに驚きます。いくら行き来がなかったとは言え、見た目に明白な東洋人と西洋人の違いもわからないような状況だったのかと。イエズス会が日本に布教に来ていたり、著された書物もあって、全く未知でもなかったのに、イギリス国教会とイエズス会(カトリック)の争いで目が曇り、結局人は見たいものしか見ないのだなー。遠いところに未開の地があって、そこで人道をはずれた謎めいたことが行われているなどの想像に血が滾るのでしょうか?
どんどん深みにはまっていく主人公に起死回生のチャンスはないのだろうか?とかわいそうに思える後半。正体をバラすのは天文学者のエドモンド・ハレー(蒼波黎也)が演出して、その追い詰めかたもかなりのインパクトがありますが、実は本当のどんでん返しはまだあって、私としてはもう中座しなければならない時間が刻々と迫ってるのに、まだ終わらないなにしろ初見なので展開がわからないし、どの辺で中座すれば迷惑にならないのか悩み深い。13時半に終演だから、20分にはフィナーレに入ってるはずと思って時計をチラチラ。しかも舞台は、蒼波黎也と華世京の2人しかいない暗めで静かなシーンで、(この場面で最前列で立てるか?)とバクバクモード。しかしながら電車の時間的にもはや限界と思って立ち上がったのが22分。華世京が下手にはけるのといっしょでした。幕が上がって縣が舞台奥でデスクに向かい、誰か(たぶん音彩唯ちゃん?)に何か話してるところでなんとか外に出ました。最後どうなったんだろ…
ここまで見たところ、とりあえずハッピーエンドらしい。そして、おそらくあすくんオズワルドがシナリオを書いてハレーに託したのでは?ジャンことサルマナザールをひそかに助けるために。いい仕事しましたね〜。彼は始めからサルマナザールがフォルモサ人かどうかはどうでもよさそうで、本当はなにものなのか?を追求していましたからね。ものごとの本質を見抜き大切にする科学者として、ペテン師に対峙する姿勢を貫いていて良かったと思います。この物語の『良心』というか、『支柱』だったと。
ベアタ・ベアトリクスやゴールデンデッドシーレを著した熊倉飛鳥氏、美術関係に興味があるか、造詣が深いのか?と思いきや、今度は奇書(?!)。興味の幅が広くアンテナが敏感なのか、舞台作品の脚本にどうだろうかと思う着想がすごいと思います。
導入部の運び方と後半の展開がよく言えば味わいが違う、悪く言えば統一感がないという気もしましたが、物語を収束していくのが自然でよかったと感じました。彼に限らずですが、娘役の使い方が判で押したように同じで、同じお仕着せを着せて群舞をさせるだけなのがちょっと残念。時代や場所の制約もあって男社会の出来事でもあるので仕方ありませんが、それなりに役があったのがヒロインとアン女王とお付きの女官だけでしたね〜。ある意味非常に宝塚らしい芝居だったと言えるかもしれません。
ちょっと気になった点がハレーがサルマナザールを追い詰める場面で尋ねる、煙突に差し込む太陽光の時間はどのくらいか?というくだりがわかりにくかったこと。その答えは一つしかないと言いながら、サルマナザールも答えられないし、ハレーもタネ明かししない。(え?答えはなに?)と食い気味に思っちゃいました。素人考えでは(太陽の通る高さは季節によって違うから、答えは一つじゃないんじゃないの?)と思ったり、サルマナザールがごまかそうとして「フォルモサでは煙突は斜めに立っている」と言うので、更に疑問が深まる始末。天文学に詳しいかたなら、ハレーの質問の答えがすぐにわかり、サルマナザールがフォルモサ人ではないと断じる絶対的な証拠となるのでしょうか?科学と空想の対決を演出するなら、もうちょっと分かりやすければありがたかったかな〜(私の勉強不足でスミマセン)
舞台装置はこれまではバウの演出のみで勝手が違うと思いますが、今回別箱ながら盆が回り、縦も奥行きもうまく使っていて、今後大劇場デビューとなっても期待したいです。
同行のお友達とも意見が一致しましたが、衣装がとてもステキでした。空想の世界なので衣装はその世界観を形作る重要な要素。これが18世紀の台湾と思わなければ(てか思えないけど笑)あくまで想像上の場所を表すアイテムとして、デザイン、色合い、素材感も満足。
幸い二回目の観劇がありますので、演者については詳しくは後に譲るとしますが、メモ程度に。
前述のあすくんはじめ、司教の天月さん、ラスボスの叶くん、司祭のるいくん(←これいつもあすくんの役じゃない?笑)の上級生は任せて安心だったのと、メリヤンダノー(架空の革命家?裏切り者?)の咲城くんの物言わぬ迫真の演技や、紗蘭令愛くんの熱演、風雅奏くんの芝居巧者ぶりも目立ちましたね〜。
目立つと言えばもちろん華世京も二番手格なので目立つんですが、こういう悪役というか奇抜な突き抜けた役は割と作りやすいので、彼女のポテンシャルにしてはちと役不足のように思います。黒目がちの美しいビジュアルに圧倒的な華を堪能。次回以降また別の挑戦を期待します。
縣は出自と生き方に悩む青年の役が似合ってますね〜。彼女のまとう空気は真っ直ぐな陽だと思うのですが、それにプラスオンの恥じらいがツボ。今回はまた決意した時の強さの押し出しが私には新しかったです。
最後に貴重な観劇を中座してまでかけつけた葬儀ですが、(たぶん夫が)心配していた寂しいものではなく、小さいながら家族親戚が集うあたたかい見送りとなり、私も最後のお別れができて悔いなし。
あとはフォルモサのラストを見届けたい。