12/20(金)1300
今回はノゾミスト(ファンクラブ)でなく、e+半館貸切を購入。
観劇は1回の予定です。
ノゾミストの案内が遅くて、早めにチケットを確定したかったのが理由。ファンクラブでも複数当選するときと、意外に当たらないときと波がありますので、なにはともあれ確保は早めがだいじ。
望海さんにとっては2回目、何回も再演をされている作品ですが、単独主演は初。
はじめてのとき二回見るつもりでいましたが、突然別の公演のお話が降ってきて、二回目はお譲りした経緯あり。
それにしても、甲斐翔真くんとはかぶりすぎ(笑)
もはや同じ組の下級生のような気持ちでは?いろいろ安心して過ごしているのではと推察します。中河内さんはムーランやイザボーで、渡辺大輔さんは森で一緒でしたし、狭い世界で職場結婚が多いのも納得です。
東京宝塚劇場の真ん前のシアタークリエにて、19列(後ろから4列目)センターブロックの通路側席。Jubileeであれば、客席降りに狂喜乱舞するような席です。12列目から傾斜がかなりある造りなので、舞台はとても見易かったです。
客席はほぼ満員。
一幕70分、幕間25分、二幕65分弱でした。
双極性障害の女性が主人公で、彼女の家族など周囲の人たち総勢6人だけの芝居。初見のときはけっこうな大音量の音楽と光に気圧された感じで、今日再び拝見してみて呆れたことに、(あれ?話しはこんなだったっけ?)みたいな驚きがありましたwww。再演作品なのでネタバレも何もないと思いますが、HPの作品紹介でも触りしか書いてないし、パンフレットも「ネタバレを含むのでご注意」的なことが書いてあり、そんなに隠さなければ楽しめないようなお話しなのか?と若干不思議な気も。
でも、一応注意喚起させていただきますと(私の振り返り記録が目的ですので)以下ネタバレを含むため、進むについてはお気をつけください。
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甲斐翔真演ずる息子のゲイブが、実は既に子どもの頃に亡くなっているというのが、当作品の一番肝の部分です。幽霊というのでなく、望海ダイアナの中では実際に生きて成長しているという妄想の中に生きています。
これを知って見ていると、ゲイブは母親のダイアナ以外とはからまないし、ほかの人はまるでいないかのように(実際いないのですが)彼をスルーしているのがわかって面白いです。
双極性障害(躁うつ病)の治療として衝撃的なのが、ドクター•マッデンの行う電気治療で、昔の映画にはなりますが『カッコウの巣の上で』で、刑務所内で懲罰として使われていた電気痙攣療法?が思い出されますね。娘のナタリーも最初は強硬に反発しますし、やはり驚きますよね。薬物治療が基本となるそうですが、それで効果の得られない患者に対して認められている先端医療なんだそうです。日本でも保険適用だそうです。でもその結果、ほかの記憶を無くしてしまうというのも怖い話で。でもこれはたぶん、だいぶ話を盛ってるとは思いますが…
根本の話になりますが、この作品ストレートプレイでなくてミュージカルなのはどうしてなのか?と観ながら考えました。ざっくりな感触として、8割くらいは歌ってるかと。それこそセリフがほとんど歌になってるようで、私は正直セリフとしての歌詞を追うのがちょっとしんどかったです。もちろん話の流れについていけないほどではないんですが、登場人物の感情の起伏に言葉(歌詞)を聞きとるだけではついていけず、それこそ歌の抑揚とか声量の大小とか声の震えなどの情報に助けられました。精神障害という非常にナイーブな素材なので、しゃべるより歌のほうが表現を豊かにできたのかも?と思ったりしながら見ておりました。
この作品では「nomal」って何を指しているのでしょう?父母がいて子どもがいて、仕事をしたり学校に通ったりしているよくある家族…のはずが、実は息子は現実には存在してなくて、娘は物理的には存在しているのに母親目線からは透明人間のようになってしまっている。物語の中心が重い精神障害の母親なので、彼女にとってはこの状況が普通なのだろうけれど、いったいこれが普通と言えるのか?わざわざ「nomal」と言って「abnomal」を際立たせる手法なのか?「nomal」の隣り合わせにあるものはなにか?を考えさせるのが狙いなのか?精神障害には偏見や差別もあるので、そのあたりも織り込み済みのnomal or abnomalなのか?
誰しも自分や自分の周りを基準にするもので、それからはずれることが普通でないと考えがちです。でも我には我のひとにはひとの基準があり「普通」と思うものがあって、相手のことを知るのも、自分を知ってもらうのにも努力が必要なんだろうな…などとツラツラ思ったり。
フィナーレで「光を」と出演者が歌うのを聞いていると、いったん分裂してしまった家族ですが、これから少しずつ変わっていくのかも?と、救われる思いもありました。
以前望海さんのラジオ番組『サウンドイマジン』で、公演中はけっこう役や環境に引っ張られること、終わるとすぐに忘れてしまうことなど、へ〜と思うような心理状態を明かしていたことがありました。様々な役を演じるのだからいちいち引きずってはいられないのも道理というか、それも一種才能なんだろうなと思います。この重い作品もそうして乗り越えていくのかもしれません。
カーテンコールの時の満面の笑顔が、この作品を共有した客席へのプレゼントに感じました。
シアタークリエで12/30まで25公演、年明けに博多座で4公演、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで4公演でツアー終了となります。
連続の再演でもあり(目新しくなく)、作品のテーマが重く身近でもなく、ミュージカルの可能性を広げたという意味では実験は成功だったと思いますが、興行的には連日満員というわけにはいかないようです。
東京も当日券もあり、特に博多座はチケットまだまだとれるようで。博多座はキャパも1454とわりに大箱ですしね。ツアー最終地でもありキャパが800の兵庫は、もうチケットサイトでは扱いが終了していて、客席にタカラジェンヌが多いのでは?と想像したりします。
完売とはいかないまでも、この地味な作品を地方も含めて33公演、興行を成立させる望海さんのポテンシャル。オファーが絶えないわけだと、ひいき目でなく思います。何を見せてもらえるか期待して、そしてその期待を裏切らない。実は次の『マスタークラス』、ファンクラブでの当選率が5の1 (なんてこと!)。チケットサイトでリベンジを目指しているところです。
来年以降も目が離せない人ですね。