6/28(金)1330
A席。最後列ですがセンターブロック。
団体席にお世話になりました。
実は先週日曜のチケットもありましたが、娘の友達にお譲りして一休み。少し離れて冷静になりたかったというのが正直な気持ち。
芝居については、これ以上あれこれ言うのはもうやめようと思っていましたが、予想以上にモヤモヤが残って、やはり書き留めておこうかと苦心惨憺してみました。
以下、私の感想であって批判ではありませんが、熱狂的正塚ファンの方には気に障ることもあるかもしれませんので、おつきあいできる方だけお進みください。
今日2週間ぶり以上で4回めを拝見して、前回までと違ってたな…と感じたのはそこここで笑いが起きていたことで。(クスッ)程度ですが、やたらブツブツと短いセリフの応酬の多い台本での、月組生の熱演にほだされた感じかなーと思いました。「ええ」とか、「はぁ」とか、「へぇ」とか、簡単な受けのやりとり。ここにそんな熱を込めるか…と。
全体を通して最も芝居らしかったのは、冒頭のユリウスとかおとくん(サミュエル)との場面、それとカトリック教会でのキーラン(春海ゆう)とゼイン(高翔さん)の場面ですかね。
エゼキエル、マクシマス、ゼインの場面も一見ボリュームはありますが、主にエゼキエルがいきり立ってる妙な人になってて、芝居というよりコントのようだと思っていましたが、今日4回めを拝見して、これはこれでスパイスになってるのかな?と思えたような次第で。
一方、場面転換における盆やせりの使い方はとても良かったと感じました。安易な暗転でなく、前後返しながら、あるいは上がったり下がったりしながら場面が変わっていくので、集中が途切れることなくスムーズにあらすじに導かれていけました。
歌う場面以外ではほとんど音がなく、特にユリウスとアデーラの場面はシーンとしているため、更に、観客がセリフに聞き入ってしまうのですが、そのセリフはこびがいよいよ謎を深める羽目に…
嗚呼しかしそれにしても…
これまで月城月組の芝居はいつも、心を揺さぶられてきましたが、退団公演に至って感想を書くのに苦しむことになろうとは…
構成、人物設計、セリフはこび。
どれ一つ欠けても物語は厳しいですが、やはり私には人物の掘り下げかなー。自分は共感はできないとしても、こうなったのにはそれなりの理由があると納得できる背景、反発を感じるとしたら、その人の何が受け入れられないのか?その書き込みが浅いために何もかもが上滑りするのでは?と。
人物設計
たとえばユリウスの生い立ちにおいて、なにかほかの人とは違うという違和感をずっと覚えていたという点。
「子どもの頃から説明できない独特の感覚がある。叔父さんだけが奇異の目で見なかった。だから両親の元を離れ(て叔父さんのところに身を寄せ)た」というセリフ。ユリウスはそのことでずっと疎外感を感じていて、叔父さんに理解者としての救いを求めたのであろうに、当の叔父さんは「変わってる」という恋人の言葉に同意するだけ。前述のユリウスの言葉に対する応答が「まぁ私には子どもがいなかったし」。(→だから食い扶持が一人増えてもかまわないという意味か、子どもというものがそもそもわからないという意味なのか、どっちにもとれました)
せっかく専科を配しているのだから、この叔父と甥の交流はもう少し丁寧に描いてほしかった。脇筋の色ボケ話しでなく。こういうのが受けるとカンチガイしているのが、昔の男性の演出家の良くないところ。りんきらのムダ使いは残念でした。
エゼキエル、マクシマスの祖先であるアンソニー•バビントンについても、唐突に名前が出てくるだけですが、このあたり掘り下げればおもしろい肉付けとなったはず。アリソン•アトリーという方の(分類としてはファンタジー、児童書)の『時の旅人』などは、そそられる背景となり得そうです。
アンソニー•バビントン側から見たメアリー•スチュアート事件、時を超えて旅する少女ペネロペの視点から描かれたもの。タイムトラベラーという超常現象が底辺にあり、『消え残る想い』とちょうど裏表のようなお話しかと。
URL、うまく貼れているといいのですが…読書感想を書いているブロガーさんのものです。
↓
http://kimyo.blog50.fc2.com/blog-entry-1127.html
構成の点では
アデーラが、亡くなったメアリー•スチュアートの魂に呼ばれて、それを「もう争わないでほしい」というように読み解き、その想いを叶えようとするという感動的な骨組みであったと思いますが、うまく肉付けできてなかったのか?もう少しメアリー•スチュアートその人を掘り下げてもよかったのではないか?バチカン(カトリック)とイギリス国教会の権力闘争はちょっとおもしろかったし、バチカン側の高翔さん、春海さん、佳城くんはよく作れてたと思うのですが、そこに噛ませる秘密局の立ち位置がいまひとつはまらなかったのかなー?深刻な要素とのバランスがチグハグな感じで、芝居の中でも言ってるように「なんでもあり」のご都合主義になってしまって締まらないのでは?と感じました。
セリフについては
私の理解が及ばないのだろうと思うのですが…
プロテスタントの現王室を廃して国教をカトリックにしたいという陰謀があるのではないか?という流れのなかで、アデーラが「私の言ったことは障害になりますね」と言いますが、なにがなんの障害になるのか?
ここに至る度に、疑問符が頭の中にいっぱいになってしまいます。
それどころか小さな疑問符はあちこちに落ちていて、特にアデーラが霊感に憑かれて夢か現かはっきりしないような事象を話す時はわかりにくい。心臓を掘り起こすときも、どうやら過去に戻って?その一部始終を見てきたから埋められていた場所を特定できたらしいのですが、ユリウスとアデーラと正塚先生の間でだけでわかってますよね?残念ながら、観客は置き去りです。
なんだかんだ気になることを書き出してみましたが、結果的に作品についてすごーく考えていることになるのが、いっそ笑えます。やはり月城月組には深く深く考えさせられることに、最後の最後までなった次第。
そして脳みそを酷使したあとのショー、
もう本当に楽しみました。
ショーは良かったね~
という周囲の方が口々に言うのを聞きながら、階段を降りました。
さて最後に大きなご褒美が!
れいこさんのmy楽はSS席です![]()