観劇記録ではありません。

と、ひとまずお断り。


地元の図書館から「予約されていた資料が用意できました」というメールが届きまして、まったく記憶になかったのですが、これが仲晃著『うたかたの恋の真実』。

2023年の始めに花組の『うたかたの恋』を観劇するにあたり、予習してみようと予約していたもので、ずいぶん経ってからの到着。もうそのまま返してもいいかと思いつつ図書館で借りて読み始めたら、意外にもおもしろくて(笑)。三日ほどナイトキャップにして読了しました。

前提として、私は単なる宝塚歌劇好きで、ヨーロッパ史には詳しくありません。宝塚で最も有名な演目のひとつ、『ベルサイユのばら』と『ミュージカルエリザベート』でハプスブルグ王朝の名前を知る程度ですが、長年宝塚歌劇を見ていると、ヨーロッパの歴史にはどこと言わずいつと限らず、ハプスブルグ家が関わっていることがなんとなく知れてきます。その頂点にして最後の(ほぼ最後の)皇帝フランツヨーゼフ一世とその妻エリザベート、その息子ルドルフの三人はあまりにも有名。宝塚ファンで、その三人の名前を知らない人はいないと思います。それだけに芝居や映画のイメージが先行して、思いこみや誤解もあったことがわかりました。


あらためて認識したことが 

この家族の年齢構成。

結婚したときフランツヨーゼフは24、エリザベートは17。ルドルフが生まれたときエリザベートは20。

若く、華やかで、絵に描いたような幸せな皇帝ご一家。

亡くなったのはルドルフが一番早くて、30才(1889年)で自殺、エリザベートが60才(1898年)で暗殺され。フランツヨーゼフは86才(1916年)で天寿を全うしていますが、彼の唯一最大の天命たるハプスブルグ家の後継ぎを失って、後悔はなかったのだろうか?こんな結末を迎えるなら、ルドルフに厳しく当たらず早めに王位を継がせてもよかったとか?それにしてもなんと長生きだったことか。これだとルドルフは、もし自殺しなかったとしても皇帝に即位できたのは60歳を超えてた勘定。

年齢は一律に人生に影を落とすわけでなく、人によって差があることは承知していますが、やはり人間退きどきは肝心だし、それが自分自身でわかる人はなかなかに少ない。フランツヨーゼフの晩年がどうだったかは知りませんが、お互いの技量をはかって禅譲できるような信頼関係があったのならと、いろいろ残念です。


『ミュージカルエリザベート』だけで見ていると、亡くなったときルドルフは30才というより、もっと若いと思っていました。「ママさびしい」と泣いている子どもの頃のイメージが強く、成人してからはほとんど登場しないせいかも。

『うたかたの恋』でのルドルフの方が年相応に見えますね。このふたつの別の芝居でのルドルフが同一人物というのが、私の中でなかなか重ならなくて。『ミュージカルエリザベート』ではルドルフの死について、ただ自殺というだけで心中とも、情死とも描かれていませんしね。


崩壊の予兆だったのね

フランツヨーゼフの頑迷さと、相反する芯の無さときたら、、、

歴史ある家系に生まれ、強い母親の尻に敷かれて育ったからかもしれませんが、その保守的なことは呆れるほど。しかも老齢に達してもその権力を手放さず、結果的に息子ルドルフの絶望に繋がっていったとも考えられ、残念な限り。母親ゾフィーに対する恭順さはもはやマザコンで、それだけにエリザベートを求める気持ちは母親への服従を上回るものだったことがわかるのに、その愛する妻から代わりの女性をあてがわれてホイホイ受け入れる、芯の無さたるやなんなの!?

この人が最後の(ほぼ最後に近い)皇帝だった意味がわかるような気がします。後世から振り返ると、落日の象徴と見えますね。


考え直したことも

『ミュージカルエリザベート』では、私はエリザベート自身にはなにも共感することがないとずっと思っていました。

10代という幼さで皇帝に求められ王家に嫁いだとは言え、その立場が自由がきかないだろうことは容易に想像できるのに、王冠の責任を夫と共に背負う覚悟もなくて。ただ美しく着飾って、かつ自由でいたいなんて勝手すぎる。長子の養育を義母にとられたことには同情するものの、その後授かった子供達も結局は放置、自分だけが可愛かった人だとしか思えなかったし。でもフランツヨーゼフが政治的にはこんなに保守的で、プライベートではまったく頼りにならなそうな夫であれば、(いわゆる無能ですよね)女の立場として共鳴できなくもない。夫の世話という面倒なことをほかの女性に押しつけて、かつ王妃の地位が保てるのであれば(生活の質を落とさないためにはそこ大事)、悪くはないかもな~。その場合は王妃は孤独なのではなく、面倒から解放され、それこそ鳥のように自由を満喫していたのかもしれない。ただ母親として、息子に先立たれたのは気の毒なことと思います。


はじめて知ったことでしたが

王家の埋葬についてはじめて知ったのが、亡骸のうち脳と目玉と心臓は別の容器に納められて、それぞれ別の場所に保管されているということ。

『ハリーポッター』の最大の仇役ボルデモートが、自身を分霊箱と呼ばれるいくつかの容器に分けていたことで、ひとつを滅ぼしてもまだいくつかが残っていて破滅させられないというとんでもない仕掛けを残していて戦いに苦労させられていましたが、そのルーツはもしかしたらここにあったのか?!

亡くなったあとで、棺(遺体)はしばらく公開されたので、腐敗しやすい内臓は処置されたということですが、中でも脳と目玉と心臓は、ほかの臓器とは異なる価値を持っていると考えられていたということ?それにしてもグロいと感じるのは文化の違いなんだろうな…

皇帝一族の納骨堂はカプツィーナ教会の地下にあって、140体ほどが安置されているとのこと。

『ミュージカルエリザベート』の冒頭のルキーニの裁判シーンで、大勢の亡霊が立ち上がって騒ぎだすのは、この霊廟のイメージが下敷きなのだろうし、それを知って、または見たことがあって(観光地らしいです)舞台を観ると、また違う感慨がありそうです。


マイヤーリンクから130年以上経って


マイヤーリンク心中事件から今年で135年。

ハプスブルグ家は崩壊するべくして崩壊したのかもしれません。その後のヨーロッパは予想を超えた山谷の連続で…斜陽の旧家にとれるような舵ではありませんでしたから、頃あいだったのでしょう。


この春娘が卒業旅行の行き先に、オーストリア、ハンガリーなど東欧を選びました。珍しい所にしたねぇ、そんな国々に興味があったの?と不思議がる夫。それはきっと宝塚で聞き覚えのある地名や人名がいっぱいあることも一因だろうなぁと、私は密かに考えます。

社会人となる娘の宝塚歌劇への興味が続くかどうかはわかりませんが、たまにはともに観劇を楽しめることもあるといいなぁ。