珍しく初日の観劇に。

(おそらく)当たりにくいのではないかと思っているので、友の会でもあまりエントリーしないのですが、今回日程の都合で申し込んだところ当選しましたびっくり

A席最前列センター。良席です。前が通路ですし、段差もありますしね。ストレスフリー(^^)v


なるべく情報を集めないようにしていましたが、素材と時代を聞いた時から(まずいな~)と思ってました。

これは私の人生の来しかたに寄るもので、芝居の出来や、役者の能力や努力には一切関係のないことなので、作品の批判でもなんでもないことだけは言っておきたいのですが、それでも『良いことしか見聞きしたくない』方は引き返してください。m(__)m

                                                 ダイナンコウ

何がまずいのかと言うと、大楠公(=楠木正成)が話の要であることです。『櫻井の訣別』なんて唱歌、戦後(第二次世界大戦)生まれの私の世代ではもう知っている方も少ないと思いますが、明治から第二次世界大戦の頃まで、天皇に忠誠を尽くした人物として、ナショナリズムの高揚に利用された物語です。

私の人生に交差した、記憶から葬りたいある人間を思い出さざるを得ない名前、それが大楠公。wwいったい、なんだそれ?まったく…時代錯誤も甚だしいことで恐縮です。

記憶から消すなんてできないのはわかってて、それでも普段は思い出さずに済むほどには年月も経っていたのに、このワードをきっかけに突如鮮やかに蘇る記憶。覚えてなければならないことは忘れてしまうことも多いこの頃なのにね(トホホ)

というわけで、思いきり肩に力の入った状態で開演を待ちました。





配役もなにもチェックしてない状況で、三兄弟以外で目に止まったのは、後醍醐天皇、高師直、楠正成。後で確認したら、一樹さん、ゆりさん、輝月ゆうまくんでした。つまり全て専科、または次期専科。さすがの存在感。特にゆりさんは何度見ても、本人とわからないほどの怪演でした。

それとジンベエからんちゃんよかった~

建前に縛られて生きている人の多いなかで、自分の気持ちに正直に動くのが新鮮にうつりました。良心の象徴ですかね。


そして見終わっての感想を一言でいうと、(あくまでこの芝居のなかではですけど…)

『諸悪の根元は後醍醐天皇じゃね?』

一樹さん、迫力でした。まさに大老ポー降臨。


南北統一を提案したたまき正行が、ありちゃん後村上天皇に対して「ご自身はどうしたいか?」と問うたときに、後村上天皇が絞り出した答え、「亡くなった人をいたみ、民の安寧を祈って日々をおくりたい。それが古来からの天子の務め」というのに心から同意したけれど、そこに後醍醐天皇の亡霊が出てきて、全てをひっくり返してしまった(ガックリ)。愚かな主君を持つと、家臣は苦労すると相場が決まってる。それでも主君に逆らえないのがこの時代の定め。負けるとわかっている戦いに飛び込んでいく、抗えない大きな歴史の波に身を投じることを是とした楠木三兄弟。

はぁ(´д`|||)

こんな都合のいい話、軍部に利用されないわけがない。


でも令和の世にこの物語をやるからには、テーマはそこじゃないですよね?

抗えない流れのなかでも、心は自由であろうとした葛藤を描きたかったのだろうなぁとは思いました。それでも、全体に流れる悲壮感はいかんともし難く、私の周囲でも泣いている方はたくさんいました。前にも書いたことがありますが、私は悲しい話には泣けない質です。怒りが勝つから。なんでこんな道しかないのか?こんな生き方しかできなかったのか?どうして死ぬことにとびこむのかと、メラメラいかりの火が燃えますムキー  滅びの美学なんてクソクラエ(失礼)


そんななかで三男の正儀が選びとった人生は、後世の人間からみて共感できるもので、気持ちが救われました。長兄から兄弟全てが死ぬわけにはいかない、と諭され、こんな時代にはいっしょに死ぬ方が気が楽だろうに、最も戦が好きだと言っていた末っ子が生きることを求められた番狂わせの人生。

そして残った命で南北朝の対立を終わらせるまでに導く波乱の人生を生き抜いたようです。この人の生涯の方は大河ドラマになりそうなくらい紆余曲折が多そうですね。


ちなつさんの演じた次男正時は、戦乱の世にあって変わった役どころでした。史実ではないのでしょうが、愛妻家で温かみのある人物で、出島以来のうみちゃんとの絡みに一人ニマニマしました。


風間くんの存在が増してきましたね。今作では敵対する北朝の頭領足利尊氏役。北の尊氏、南の後村上天皇

と各陣営のトップ感を十分に醸し出していて、重みがありました。美少年を好んだとかで『花一揆』と称する若衆を同道して、娘役4人が扮していますが、どんな格好をしていても娘役だとわかるのが不思議ですね~。同じことは男役の方にも言えますが。だるま姿でも男役とわかるしね。結愛かれんちゃん、蘭世くん、美しかった…


そしてるうさん、

なじみのない南北朝の時代を淀みなく聞かせて、一気に物語りに引き込む語りが圧巻でした。

「私が誰か?」という疑問点をあとに残したままという謎かけも秀逸。

構成はさすがだと思いました。


と、ここまで観劇直後に一気に書きましたが、ここで止まってしまい一晩明けました。

まとまらない。

歌劇の5月号を引っ張り出して、ウエクミ先生との対談を読むことに。


上田「一人の人生の幸せを追求するだけでなく、個人の命よりもひとつの家の流れよりも、もっと大きな流れに命を捧げるということを正成や正行のモチベーションとして書いた」


う~ん、なるほど。

私のなかに落ちてこないわけです。


私は基本、個人の幸せがベースにあって、そこに家庭の幸せや社会の幸せが乗ってくるものと思っています。もちろん、自分の幸せだけを考えて社会の平穏をないがしろにしていいと思っているわけではありません。『公序良俗』に反しない範囲で個人の幸福を追求するのは、後ろ指さされるような行為ではないでしょう。むしろ自然でしょ?でもそれは現代だから、言えること。

やはり大楠公一族の悲劇は、時代や家(先祖、正行の場合は父親)に縛られて他に道がなかったと思った方がすんなり腑に落ちる気がします。


私たちは歴史を知るものとして過去を振り返りますから、あそこであの人がこういう行為をとっていたら歴史は違っていたのではないか?ということをしばしば考えます。しかし翻って、現代に生きる自分自身、正しい道を選びとっているかは未来の人々に判断を委ねざるを得ないし、多くの人は政治家でも武将でもなくて市井に生きる小さい存在なので、そこまで歴史の流れに大きな影響を与えるとまでは思われない。戦争などの混乱のなかにあって、はたして何が正しいのか判断材料を与えられるのか?こうしたいと思ったとしても、実際にそういう行動がとれるのか?結局命運を分けるのは、置かれた環境(楠木の場合、家系)と生存本能に集約されるのでは?


犠牲的行為に出る人はいつの時代にもいる。そういう人は、自分が死ぬことで、誰かをなにかを救えることを信じて死地に赴く。だがはたして楠木正行がそう思っていたか?彼自身、自分の家系にからめとられて選びようのない一筋の道を行くしかなかったのでは?

やめること、道を変えることはとても勇気とエネルギーの要ることだと思います。敷かれた道を迷いなく邁進する方が楽なことが多い。だが正行は楽な道を選んだのではなく、わかっていても、長男として逃げられなかった。そして最後に、末弟に事後を託したことで彼の望んでいた南北統一を実現に導いた。彼の死んだ意義はそこにあったのではないかと。


ウエクミ先生の考えたホンの方向とは、違うベクトルに振れましたが、まぁこういうあれこれを考えさせてくれるのが、彼女のホンの特徴かと思うので、それはそれで。



……ショーまで行き着きませんでした。

疲れた頭を癒せる楽しいショーで、幸せな気分で家路に着きました。

ちなつさんのダンスと歌もたっぷり堪能。

れいこさんセンターの(韓流かな?)グループパフォーマンスもステキでした。

ありちゃんはじめ、複数の組み合わせのタンゴもとてもよくて、どの組み合わせを見たらいいか迷うほど。

芝居とショーの二本立ての構成、ほんとサイコーですね。


何回か観劇機会がありますので、また書くことにします。

日を跨いでの投稿になり、今日はここまでに。