1/21、11時公演。
今回は二階一列目、センターの少ーし上手寄りでした。ただ庇がアールを描いているせいか、少し上手でも少し下手でも自分の座席からはトップスターが真正面に見える錯覚が起こるらしく、今日も望海さんが自分の視線のまっすぐ先に見えます。

fffの脱力感のあと、やさしく緩やかに始まる音楽。大きな砂時計の前で歌い出す翔ちゃんの丁寧な導入部。決して歌が得意というわけではないのでしょうが、心休まる歌声です。周りで踊る娘役さんたちの美しい長い腕が、空間に絡みつくように動いてシルクロードの世界にいざなわれます。
体の線があまり出ないゆるめの服と、ターバンというような衣装が多く、私たち日本人がなんとなく持っているシルクロードのイメージ通りかな、と。
ショーが、流れていく時や移っていく場所をさすらうように場面を変えていくなか、きぃちゃん扮する青い宝石の化身と、翔ちゃんたち隊商のグループが、案内人のように様々な場面に現れます。
このあたり私のなかではまだ混乱したいるのですが、翔ちゃんは同じキャラバンの人物のように見えて、まったく異なる世代の人なのか?それともキャラバンというのは「さすらい」の単なる象徴で、通し役としての幻なのか?
今はちょっと後者寄りの考えで進めます。
場面の順番としては、プログラムのタイトルには合っていませんが、オリジナルの見出しで覚え書き。
砂漠 : 翔ちゃん
↓
盗賊巣窟 : だいもん
↓
宝石の化身 : きぃちゃん
↓
亡国の幻 : 咲ちゃん
↓
ペルシャ 千夜一夜 : あーさ
↓
インド 神々の競演 : 綾と縣
↓
ロケット
↓
上海 ドラゴンナイト : 総出演
↓
戦い : あーさ、
(鳩)咲ちゃん、ひらめちゃん、
もちろんだいもん、きぃちゃん
↓
キャラバンは続く: 翔ちゃん
フィナーレ : 黒燕尾、デュエット、パレードへと
ショーの内容には関係のない感想ですが、フューチャー場面、みごとに番手順の登場ですね(笑)
美しいがゆえに、所有したい人たちの奪いあいのタネとなり、その争いに疲れはてた宝石が、「誰もが(自分を)呪われた石といって疎んじる。もうこんな世界など終わればいい」と嘆く。それを、「お前の最後を俺が奪おう」と、宝石の抱える悩みまるごと望海さんが抱きとめる、、、
これってあまりにfff とシンクロしてません?芝居とショーは、ウエクミ先生と生田先生、まさかのすり合わせとかしてるのですかね?
それともやはり、きぃちゃんからインスパイアされるものが共通してるってことですかね?
寂しさ、孤高、憂い、ある種の諦め、聡さ、祈り…
あんなに明るく強い感じのコなのに、一人で立ってる(誰にも頼らずに自立している)感じがそういうイメージに繋がってのでしょうか?
どんなに強くても抱えているであろう哀しみを、最後に癒してくれるのが望海さんて、、、もう泣かずにはいられないです。