今日はまず、前回書いていなかったことから。
「役が少ない!」
原作があるものなので制限があるとは思いますが、上級生のムダ遣いすぎない?特に男役さんたち。
いつもこぼしてる、ゆりやさん。また警官かーい!
舞台の上手から下手へ、下手から上手へ。走ってはける。う~む…
からんちゃんも出番少な…
まゆぽんは一匹狼、自由にやってて自分で見せ場を作ってた感じ。さすが~!
ちょっと学年が下にはなりますが、蓮つかさくん、るねくん。頭角を現してきたところだけれど、あまりに出番がない…。言っても仕方がないながら劇団推しの下級生においしいところをすべて持っていかれる切なさ…
群衆芝居も大事なアンサンブルの要素ですけど、この中で自分らしさをアピールするのはなかなかね~
一本ものなのでショーでの見せ場も限られていて…
銀橋渡りがあったのが、せめてもの見せ場なのかな、と。
というところを織り込んでの、
2回目です。
今日も取り次ぎにて。お友だちと二人で。再び10列目前半の通路側。いい場所。ありがとうございます。
今日は脚本と筋書きについての感想を。
テーマは故郷、そして家族ということですが、オーストリアと日本の意識の差を大いに感じました。
まず故郷(国)ですが、「I am from Austria」というのは、「私はオーストリアの出だ」くらいの意味と考えますが、わざわざ「from」と言うあたり、出自を強調しているということなのかなと思います。日本人は「日本の出身だ」ということをそこまで思っている人っているでしょうか?島国のおかげで隣国から蹂躙されることも少なく、単一民族のためにアイデンティティーについて深く考えることもあまりなかった。しかも先の大戦後はうっかり「祖国日本」を掲げようものなら、近隣の国々から「軍国主義復活だ」とかすぐに批判される昨今、日本人は日本人であることを意識的に忘れて生きているかのようです。唯一「日本」という旗が大っぴらに振られるのがオリンピック等のスポーツくらい。単に同国人というだけで高らかに「私たちは同じ国の出身だ」と歌い上げるのには、なかなか共感はできないのではないかなー?
次に家族の絆ですが、親子間の情は日本とあまり変わらないと思いましたが、夫婦の繋がりは大いに異なりますね。成人した息子のいる夫婦の間で「もう一度二人の時間を」と望む夫婦が(妻がと言ってもいい)どのくらいいるでしょうか?子どもが巣立ったら(叶うものなら)熟年離婚をしたい、と考えている妻が相当数いるのでは?日本の女性の多くは男性と同じような経済力がないことで家のなかに閉じ込められ、さまざまな我慢をして過ごしていますからね。でもちなつさんみたいな夫だったら、人生の後半を二人で過ごすことを考えたいかな~(笑)
というわけで、オーストリアの熱狂を共感はできませんでしたが、一つの物語としては考えさせられ、楽しむことはできました。
セリフの中で、やたらにエリザベートネタやマリーアントワネットネタが出てくるのは、宝塚ファン向けのセリフなのでしょうか?確かによく知っているゾフィーとかフランツヨーゼフとかいう名前が出れば、お約束のように笑いが起きていました。国によって笑いのツボも違うので、オーストリアのものをそのまま翻訳しても、全く笑えないということになりかねません。要所要所に笑いが起き、観客もコメディを楽しんでいたということは、それなりにツボを押さえた脚本が成功していたのだと思います。
この演目がこれまで馴染んできたミュージカルと違うのは、芝居とミュージカルナンバーがパキッと別れていることなのではないかと。ミュージカルナンバーが始まると、これまでの芝居の流れと無関係の?パフォーマーが、わーっとたくさん出てきて歌い踊り、ナンバーが終わるとはけて芝居の筋に戻っていく。この緩急というか、変容に乗っていけるかどうかに、この演目を楽しめるか否かがかかってくるのでは?ちょっと目の回るテンポの早い展開ですので。
また見慣れた宝塚歌劇の構成と違う点がもうひとつ。
最後のパレードでの階段降りが役の扮装ではなく男役は黒燕尾、娘役はロングドレスで舞踏会風でした。トップさんだけが華やかな衣装というのはありましたが、全員が芝居の扮装ではないというのは珍しいですね。
それと!光月るうさん、最後まで女役で階段を降りてきました。後半のショーの時は男役の中にいたのでしょうか?チロリアンハット風の帽子をかぶっているのであまりお顔を確認できませんでしたが、もしかして娘役さんのなかにいたとか??
次は来週末に三回目。これが今年の宝塚納めになる予定です。