待ちに待ったファントム初日✨
今日は元々14日だったチケットを、娘の試合のスケジュールでおけぴで交換してもらい、ヅカ友を誘いました。席は2階の2列目センター上手寄り。
圧巻でした。
もはやその言葉しか出ない。
二時間半が短く感じました。
こまかい点は、一人一人の演者についてのそれぞれ思う所もあるけれど、今日はもう、この感動に浸っていたい。
ひとつだけ。前回花組のファントムの時には憎らしくてたまらなかったクリスティーヌが、今回は哀れに見えました。
感想はおいおい書いていきます。
1週間が経ちました。初見の感動を充分噛みしめた後、心の中に去来してきた様々なことを言葉にしてみようと思います。
まずはひとことで言って、ミュージカルを観た~という思いです。主演二人の歌はもちろん、組全体のコーラスが厚く、いかにも音楽劇の名前に恥じないすばらしい出来でした。
だいもんの第一声に触れたとたん、心が震えました。じかに心に入り込んでくる歌声でした。エリックの悲しみが私をつかんで揺さぶりました。そのまま物語に引き込まれて二時間半が経った感じです。
ファントムの悲劇は、あの時代、奇形として人目を忍んで暮らさなければならなかったことから生れたのでしょうが、クリスティーヌのように心を通わせたはずの女性から、あんな風に悲鳴をあげて逃げられたエリックの絶望を思うと、ほんとうに胸が痛みます。唯一自分を愛してくれた母親を至上の愛として心に抱き、自分が他人から愛されることなく育った(というか、他人と接触せずに生きてきた)為に、母親の面影をずっと追い求めてきて、ようやく運命の女神に巡りあったと信じたエリック、その彼をあんな手ひどい裏切りで傷つけるとは……そんなクリスティーヌもまた、哀れに感じました。
そもそも論になりますが、エリックの醜い顔とは現実にはどんなものであったのか?考えられるのは3つで、1つにはアザ、ふたつめはケロイドやただれ、3つめはコブやイボかと思うのですが、顔にケロイドやコブやイボのように凹凸がある場合、特に幼少期はそこをいじらずに過ごすことは不可能でしょう。さわっちゃいけないものほど、触りたがるのが幼児ですから。触ってみればこれなんだろう?と思うのが普通で、8才になって偶然自分の顔が水に映るまで顔の状態に気がつかないとは考えにくい。となるとやはりアザであったと考えるのが自然です。生きているからには、ゾンビみたいに頭蓋骨が剥き出しとか、顔が溶けてるとかはあり得なそうだし、もうひとつ人相が著しく変わる状況としては眼球がないというのもありそうですが、エリックは両眼があるという設定なので、やはりここはアザだったのでしょう。私もかなりの濃い色のアザが顔にある方を何回か見かけたことがありますが、さすがにちょっとギョッとはするものの、そして直視してはいけないかな?とやや伏し目にはなるものの、悲鳴をあげて逃げ出すことはなかったです。現代は差別は(表向きには)NGですし、様々な個性を認めようという風潮ですから、エリックも現代に生まれていたらここまで隠れて暮らす必要はなかったでしょうね。もちろん一般的な人たちと異なるのは間違いありませんが、それもまた彼を構成する個性のひとつです。それにアザなら、お金さえあればものによっては幼いうちにレーザー治療でとることさえできるかもしれません。こう言ってしまっては物語が成立しませんが…
時代は残酷ですね。ある時代には正義だったものが、別の時代には悪だったりすることもあって、(後の歴史の評価も様々ですが、)その時代に生きている人にとっては、現代とはまた違った価値観もあるでしょう。
今の時代だったらおそらくここまでの悲劇的な幕切れにはならなかったエピソードを、現代にも通じる普遍的な物語にしているのは、「なんのために生まれてきたのかわからなかった」というエリックの孤独なのかなと思います。孤独なら、どの時代でも、大勢の人々の中に生きていても、誰にとってもあり得ます。
その絶望をエリックは私たちに突きつけるのです。
ただそれが絶望のままに終わらず、父親との名乗りや、最後にエリックに寄り添うクリスティーヌの後悔によって救いを掲げて終わることで、深い感動を呼び起こしているのだと感じました。
長くなりました。
実はファントム、幸いにも複数回観劇します。
他にもたくさん思うところがあったので、また違う切り口から感想を綴っていきたいと思っています。