先週リーフィーを観劇しましたが、言い忘れたことがあり。


舞台装置が目を惹きました。

こういう普通のやつね。





木製の椅子をオブジェのように積み上げたメインのセット、芝居中ヒロインが(夢のなか?で)フルーツバスケット=椅子取りゲームをする小道具としても。

「居場所」を表しているそうですね(NOW ON STAGEによれば。未見)

セットの全景はなんかどこかで見たな感はありましたが、宝塚歌劇の背景としてはかなり珍しい。心象風景を表すのに、宝塚ではまず踊りだすのが常ですからね。外の演劇界にない特殊な事情として、なにしろ人数を使わないとならないし?


舞台全体に演出家がどこまでか関わるのかわかりませんが(たとえば大道具小道具衣装照明)、少なくともイメージ、はやりの言葉で言えば「世界観」的なものは専門の部署に伝えますよね?たぶん。

生駒怜子さんは、前作の『夢現の先に』のように、概念を何か“物”に託すのが好きまたは得意なんでしょう。前作の象徴が宇宙服のような衣装だったり、傘だったりしたように、『リーフィー』では椅子だったのだなぁ、と。


舞台をつくる人はざっくり二種類いると私は思っているのですが、自分を表現したい人と、観客を楽しませたい人ですね。

生駒さんは前者に近いスタンスなのかもしれません。まだちょっといろいろと浅いというか中途半端な気はしますが。今回は前作の批判なのか反省なのか発展なのか?ちょっと観客寄りにつくろうとしてたのかもと思ったのですが、あんまり成功はしてなかったように感じました。その中で異彩を放ってたのがセットだったなーと。

なので自分の覚えとしてちょっと書き足しておくことに。