もはや古典となってしまったかもしれないが、旅好きな人には強くお勧めできる紀行文である。

 

小田実氏が26歳の時、1958年の夏にフルブライトの留学生としてハーバード大学へ留学し、年の留学後にアメリカから船でイギリスへ渡り、アイルランド、スコットランド、ノルウェイに至る。ノルウェイのオスロから東京までの航空券を買い、途中幾多の都市でストップオーバーをし、デンマーク、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、スペイン、イタリア、ギリシア、エジプト、シリア、レバノン、イラン、インドを巡る、壮絶な貧乏旅行の記録である。

 

しかし、ただ単に旅の記録に留まらないところがこの本の凄い所である。

 

『出かけるにあたって、私は一つの誓をたてた。それは「何でも見てやろう」というのである。』という一節がある。

まさにこの本では小田実氏が世界各地で様々な人に出会い、様々な場所に赴き、そして感じ、考えたことを率直に記述されている。

それは文化や文明の考察であったりする。

その文章は簡明であり、ユーモアがあり、大変面白いものになっている。

 

2次世界大戦後15年という時代の世界の記述であるから、いささか古くなった部分もあるのは事実であるが、文明への考察や文化の対比についての観方については現代に通ずるものがあって面白い。例えば、アメリカ合衆国で感じた「匂い」についての一節にこのような文章がある。

 

『「アメリカの匂い」というものを高級なコトバに翻訳して言えば、それは、このごろアメリカの社会を論じる際に必ず問題とされる「画一主義」になるであろう。誰もが同じものを食べ、同じ服を着、同じ住居に住み、同じふうに考え、同じふうに語り、同じふうに行動する。これはたしかに、今日のアメリカの社会が直面している最大の問題の一つであろう。』『アメリカで私が感じたのは、すくなくとも重圧として身に受け止めたのは、それは、文明、われわれの二十世紀文明というものの重みだった。二十世紀文明が行きついた、あるいはもっと率直に言って、袋小路にまで行きついて出口を探している一つの極限のかたち、私は、アメリカでそれを何よりも感じた。』

 

この感覚というのは現代の日本の抱える問題の本質のところに未だあるのではないだろうか。小田実氏が1950年代末のアメリカで感じた文明の重みは、現代の日本にもいまだに当てはまっているのではないか。

 

また小田実氏が凄いのは、人とのコミュニケーション力が長けているところである。誰とでも仲良くなって話をし、異国人の文化や考えを知ることができる。私などは到底真似のできないことである。それが文章を通して追体験できるのが興味深くありがたいことである。

 

当時の日本人が観たアメリカとは。西洋文明とは。ヨーロッパ文化とは。アジアの貧困とは。そういったテーマが盛り込まれている。

 

私がこの本を知るきっかけとなったのは沢木耕太郎氏がこの本のことを書かれていたのを読んだからである。『深夜特急』で有名な沢木氏がとても大事にされている本がこの『何でも見てやろう』であるというような話がされていて、興味を抱いて、この本を読んだ。

 

自分が旅に出ているような、そんな気分にさせてくれるとともに、文明・文化の考えを深めさせてくれる、優れた紀行文である。