パリ・・サロン・ドートンヌ世界最高峰芸術祭入選 | 小林白炎オフィシャルブログ

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北海道旭川市在住の墨絵詩書家です。

 サロン・ドートンヌ展(またはサロン・ドトンヌ展)は、1903年にマティス、ルオー、フランツ、ヴィヤール、マルケ、ボナール、カモアン、フリエスらの参加によって産声を上げました。サロン・ドートンヌ展(日本語で“ 秋の展覧会 ”の意味)設立の裏には、当時、大変に保守的だと考えられていたル・サロン展をはじめとする旧態依然としたフランス画壇に対する反抗があったと言われています。サロン・ドートンヌ展誕生以来この100年間で、フランスのみならず、世界の美術コンクールの傾向は大きく変わったと言っても過言ではないでしょう。ル・サロン展も、その後の変化をたどると、サロン・ドートンヌ展から大きな影響受けていることが容易に想像でき、その世界的な知名度も完全に逆転しています。現在、パリが芸術の都といわれるのも、サロン・ドートンヌ展の発展があってのことなのです。作家達の顔ぶれも実に魅力的で、モディリアニ、セザンヌ、ピカソ、ブラック、ルノワール、ミロ、ユトリロ、ルドン、カリエール、ドラン、ヴラマンク、ヴァン・ドンゲンらが活躍して来ました。マルクス、ユイスマンス、ヴェルバーレン等の文筆家も支援し、フォービズムやキュービズムの作家たちにも活躍の舞台を提供、近代美術史上に大きな実績を残しました。また、小山敬三、藤田嗣治(レオナール・フジタ)、佐伯祐三、ヒロ・ヤマガタ、織田広喜、鶴岡義雄ら、実力派日本人作家達も登竜門として数多く挑戦してきました。
 優れた抽象作品、前衛的作品が多く出展されるサロンとして有名ですが、同時に具象作品や写実作品、ポップアート、デジタルアートも含めたあらゆる傾向の作品も多く受け入れており、現在に於いても他の歴史的サロン展とは一線を画し、常に新しいアートの形を探求しつづけるサロンとなっています。この姿勢こそがまさにサロン・ドートンヌといえるのです。

近年は、パリの目抜き通りであるシャンゼリゼ通り特設会場などで賑やかに開催されており、その存在感を示し続けています。同時に海外との芸術交流にも積極的で、従来のサロン・ドートンヌ審査会による入選作品の展覧と併設して、会場内に各国の美術団体などによる国別作品ブースを多く設けるなど、入選作品以外のバラエティーに富んだ作品展示も見られるようになりました。また、シーズンオフには、一部役員らがそれら各国美術団体の拠点に出向き、フランス国外での交流展に参入することで、パリのサロン・ドートンヌ展をフランス国外のアーティストや美術関係者に向けて広報することにも成功しています。