バスケ日本代表がワールドカップ出場を決めましたね!

4連敗からの破竹の8連勝!!

怪我で離脱していた辻の3Pもよく決まってました!
ワールドカップが楽しみです!


介護の会社でめでたく常勤として迎えられた2009年7月。
正社員ではなかったけど、やることは社員と同じ仕事。それでも充実した毎日だった。

私生活はと言うと、もともと働いていた居酒屋のバイトさんのご主人が下北沢でベトナム料理屋さんをやっていると言うことで、度々顔を出すようになる。

兵庫県明石市出身の人でとにかく明るくて楽しい!
ここで出会った人たちはみんな面白くていい人たちでステキな仲間である。

相変わらず飲み歩いている傍ら、ジェニファーの活動も続いておりたまたま見に行ったイベントでベンフィカと出会う。
何気に俺も昔対バンしてたみたいだ。
打ち上げで意気投合して、Voの横山のうちに仕事終わりに飲みに行く日々も続いていた。※職場と横山の家が近かったため。
横山とは意気投合して、客なのにステージ上がらせてもらったり、一緒にライブをやったりとやりたいようにさせてもらった。


仕事はと言うと、当時の店長がよくしてくれて、ちょっとずつ時給を上げてくれたり、契約社員にしてくれたりと。
正社員になるまでの道のりをしっかりと作ってくれていた。

そんな2011年冬あたり。
部長と面談になる。今後のキャリアビジョンを聞かせてくれと。
正直他のセグメントにあまり興味はなかったので、今のセグメントで、、、と話したら新潟に新規出店するんだけど、副責任者という立場でどうかと打診された。

予想もしない提案に若干混乱。
昇進するチャンスだし!
でも新潟って、、、
行った事ないし。

どこよ、新潟って!


そんな気持ちのまま、当時少し思いを寄せていた女の子との飲み会へ

消化不良な試合だった
中途半端に終わってしまった

しかし、仕事は中途半端に終わらせるわけにはいかないと思い、1日考えて、受けさせていただく返事をした。

正直ワクワクとドキドキ半々くらい。


転勤が決まってから東京でやり残したことはないか。東京での生活もあと2ヶ月もない。


思い浮かぶことと言ったら、やはりライブだった。
最初は、自分がお気に入りのバンド集めてただ、見ているだけで、と思ったが横山から「カントクは出ないの?」(カントクとは俺のこと)

そこから横山、千尋くん、先輩とコピーバンドを組んで出演することになった。コピーバンドなのにトリw

2012/02/03
下北沢CAVE-BE
DEAD or KEN LAST NIGHT

1.FORSEST
2.benfica
3.エレキング
4.ジェニファー
5.MASKED K & the JBs

サイコーにサイコーに気持ちよくて自己満だけどみんなと楽しめた夜だった。
やっぱりステージに立つことは楽しい!

この日は自分の誕生日の前日だったことあって、千尋くんに自作自演と言われた、、、

それでもサイコーのライブだったのでたまにDVDを見返している。

それから、大学の友達がお別れ会を開いてくれた。
やはり、友達に恵まれているなと思う。
幸せだと思う。

そして、1週間後新潟県上越市に旅立つことになる。

新潟のローカル線に乗った時に、電車のドアを手で開けなきゃいけなかったり、道に誰も歩いてなくて(基本は車移動だから)、雪は3メートルくらい積もってるし、衝撃だらけだった。

でも、ここから新たな人生の1ページが始まると思うとやはり楽しみの方が大きかった。


https://youtu.be/9axEhpMnBrA

骨/銀杏BOYZ 

最近、またショートフィルムを作りたいな衝動に駆られています。

初めてまともに作ったのが、友達の理想のプロポーズを映像化した時でした。
当時のケータイだったので全てワンカット、というか一時停止とかしながら撮ったのでした。

そのあと、ジェニファーのティーサー広告作ったり。

そんな大げさなものでなくていいから、何かしら作りたいのです。
というか、すでに簡単なやつは作ったんだけど、残念ながら肖像権と内容に共感しにくいという点で公開出来ませんw

そんなもんで、なんかいい感じの映像ないかなーと思いMVを色々と見てるのです。


銀杏BOYZの骨はそんな中で見つけたMV

この組み合わせいいよね。
もう10年以上も前の映画だけど、アイデン&ティティで麻生久美子を好きになったんです。
MVにちゃんとディランも映ってるのがサイコーです。
別れ話が終わった直後、そのまま町田に向かった。とにかく誰かのそばにいたかった。 
ノリユキくんとユーイチくんと会って朝まで飲み明かした。丁度みんな同じような境遇で、涙は流さなかったけど、ただただ救われた。 
次の日は思い立って、そのまま仙台に行くことに。チェックインしたホテルの近くにあったバーで知り合った40代の中間管理職のおじさん、50代の常連さん、そしてマスター。そんな人たちに20代そこらの若造の失恋話を聞いてもらいアドバイスをもらった。きっとあれっきりの出会いだけどすごくいい出会いだったと思う。 
秒速5センチメートルの歩みだけど、だから共感できる。 

2泊3日の仙台旅行もあっという間に過ぎ、帰宅。 
家にある色んな思い出の品を処分。指輪も手紙も服もプレゼントも写真も全て。 
ブログを読んで心配してくれた友たちが電話やらメールくれてとてもうれしかった。皆の優しさに触れた瞬間でした。そして俺はまた優しくなれるのでした。 


その後は1週間ほど勇樹の家で合宿。これからについてあれこれ考えて、目標設定。 

11月末から1駅隣の老人ホームで働くことに。ちょうどこの頃からヘルパー2級の自宅学習を始める。(実は今まで持てなかった) 
1月からはヘルパーの講習が吉祥寺で始まる。 
毎週日曜に講習だったので、金曜から夜勤に入って土曜に明けて、勇樹の家に行き、次の日講習。週休1日だったけど、講習自体もすごく楽しかったし、夜勤明けで寝ないでミュージカル見に行ったり、飲みにも行った。新しい出会いもたくさんあった。 
3月1日で講習が終わるまで、この間はすごく充実していた。 

また1~3月にかけて友達3組が入籍&式だった。結婚予定も含めると5組。ラッシュだな。 


2月28日 下北沢に引っ越し。 
色々考えた末、介護関係を2つと居酒屋のバイトで3つ掛けもち。 
ここでも週休1日だったし、金はキツキツだったけど楽しく過ごす毎日だった。4月末にはヘルパー2級を無事取得。 

8月に青森にねぶた祭りを見に行く。ついでに函館も行ってくる。青森のお土産で不覚にも紅イモタルトを買ってしまった。 

8月に訪問介護の会社から職員としての誘いを受け、9月から働くことになる。 
居酒屋の方は9月15日までだったので1日から15日までの間はかなりのハードワークだった。でも最後の日は、スタッフやら常連さんから色んなプレゼントを頂いた。かなり感激した。なかなか心温まるお店だった。



と、ここまでは、2009年に書いた記事でした。
あれから10年。
楽しいこともあったし、腹立たしい事もあったし、嬉しい事もあった。
でもこの10年はやっぱり仕事を頑張っていたかな。

これから10年間を振り返っていくのに仕事だけではつまらないので、楽しい事も含めて書いて行きたいと思います。

あ、ちなみに6章はまだ続く予定です。
2007年3月 埼玉県川越に引っ越し 

バンドをまたやるというのも前提にあったが、ある程度音楽に対して見切りをつけた頃でもある。 
最初はメジャーデビューという目標もあったが、それよりも何よりあのステージに立って演奏するのが大好きだって事に気づく。 
何度も言うようだけど、ジェニファーを組んでいた時間に後悔はないし、今でも千尋君の作る曲は好きだ。 

引っ越して早々、flatterからベースのサポート依頼を受ける。 
そして1枚のCDを渡され1ヶ月間練習の日々となる。耳コピが大の苦手なのにコード進行も教えてくれない。それでも何とか5曲をカバー。 
2007年4月西川口ハーツ 

2007年6月 
メアド変更のために電話帳の人に一斉送信。 
どうやらこの時、前の彼女にも送ったらしい。ってかコンタクトを取りたくてわざと送ったんだと思う。 
返信メールに対して、今まで自分の中にあった罪悪感に終止符を打つべく謝罪の言葉を伝える。 
それに対しての返信メール。 
「それを聞けてすっきりした」と。それと4月に入籍しましたと。 
突然のことでびっくりしたのと同時にショックを受けKOされた。きっとあの時もまだ想い続けていたからだ。 
でも頑張って「おめでとう」と送ったメールは絵文字だらけで動揺しているのがわかってしまっただろう。 


2007年6月24日 
“Wild STD Premiere” 
KBB初のイベントに足を運んだ。 
新生ジェニファーも出演したイベント。 
ライブのMCで勇樹が「この曲を前のベースに捧げる」と言って『ラストシーン』を披露してくれた。 
勿論前述の出来事を知った上で彼なりの慰めだ。今でも忘れない、すごくいいライブだった。夢中になりながら全曲熱唱してしまった。気づいたら泣きそうになっていた。 
この時初めて外から自分が在籍していたバンドを見たが、これほどまでにかっこいいものだとは思わなかった。歌も演奏もうまいとは言えないが、それでも魅力を感じるバンドだった。最初はその魅力を感じて千尋君とバンドを組んだんだけど、なかなか自分たちのことってわからなくなるね。


新生ジェニファーのライブすぐあとに合コンの誘いがあった。 
そこで知り合った女性と何回か食事をして、7月末に付き合うことになった。 

8月からスキルアップのため、資格の勉強を始める。 
幸い、仕事は定時で上がれていたので、毎日家に帰っては勉強の日々だった。 
勿論デートでいろんな所にも行った。 
11月の試験まで4か月の期間だったけど国家試験に比べたら屁でもないくらいのレベルだったので無事合格。それでも合格ラインギリギリだった。 
年越しは初めて彼女と過して、きっとこんな穏やかで安らぎに満ちた生活がずっと続いて行くんだろうと思っていた。 

2008年2月 
兼ねてから遊びに行くと言い続けていた青森の友人のとこに遊びにいくことに。 
冬だったので道端には除雪車が押し寄せた雪の塊が積まれていた。 
思ったほど寒くはなかった。いいところだった。 
青森から帰って、就職活動に励む。 
結構前から彼女とは結婚の話も出ていたから。 
2社目で内定をもらうがもう少し就職活動を続けたいと理由で断ったのが運の尽きだったこの後3ヶ月間決まらず最終的には15社程面接を受けた。 
結局最後の方で営業の会社と人材派遣の会社から内定をもらって営業を選ぶことになる。 


7月からスーツを着て川越~渋谷を毎日通うことになる。 
最初の1ヶ月間はまだよかった。時間を重ねるうちにノルマというどうにもならないプレッシャーが襲ってくるようになり、真夜中家に着いた時は廃人のようにコンビニの弁当をむさぼり食って後は眠るだけ。とても人間らしい生活ではなかった。 
それでも彼女を大切にしたいという思いもあり、9月にプロポーズ。 

自分自身結婚については否定的ではなかったけど、この時期はあまりにも自分のことが見えていなく……終わっていた。 


10月に入ると会社での立場もいよいよ危なくなり、毎朝7:11に乗る電車が憂鬱でいっそこのまま違う街運ばれたいと願う日々が続いていた。 
出社すれば、重苦しい雰囲気の中息が詰まりそうになり上司からは嫌味を言わる。 
殴る蹴るの暴行(大げさか)を受けながらもどこか突破口を見つけようと足掻いていた。 

仕事が終われば、彼女からは結婚へのプレッシャー。そして朝起きればまた仕事。 
どうしても心休める場所が欲しくて週末はよく下北沢で勇樹や千尋君、店長と飲んでいた。 
そんなある日、会社であり得ないくらい怒鳴られ一人、非常階段で泣いていた頃、彼女の浮気が発覚。 

もうキレイさっぱり何も無くなっていることに気がついた。心の中は空っぽだった。 
そして11/11に会社を辞め、『ハンサムスーツ』を独りで観て彼女と別れ話をした。 
理由を聞いてももうこれっっぽっちも引き留める気はなかった。でも俺に非があった事は間違いない。 

「幸せにしてあげられなくてゴメン。次の人に幸せにしてもらってくれ」 
これが最後の言葉である。