海辺のオリオン隊 -6ページ目

海辺のオリオン隊

こんにちは。wangと申します。

小説と簡単な詩を作ってます。

子供の記憶に残った絵がある。


あまりに鮮やかすぎて、あまりに綺麗すぎて、私はその記憶から離れられなかった。


その記憶は私を捕らえて放さなかった。


記憶に囚われた囚人、その言葉は私にぴったり当てはまる。隙間が空くことは無いだろう。


絵は祖父が描いたものだったと聞く。


親父にしろ、何にしろ、誰にしろ、嘘と虚実を描いていると笑い者にされていた。


祖父からすれば、夢の無い奴等と鼻で笑っていた。


誰に聞いても、理解者は居ない。


精々笑わなかったのは、祖母くらいのものだったろう。


その祖母も理解は出来なかったそうだ。


祖父の絵は写真を合成したかの様な写実感があった。


ただ、荒唐無稽とも取られものばかりだった。


インドネシアのボロヴドゥール寺院を描いても、それを囲む様に背景にシアトルの町並みを描いて、更にピラミッドを描く。


終わりかと思えば、キャンバスを引っ繰り返して、今度はモスクワの寺院と、背景にそれを抱くかの様にマチュピチュ描いてみたりともう無茶苦茶である。


背景は宇宙空間である。


祖父は多分、漫画家の方が適職だったろうが、祖父は生涯技術者だった。


そんな祖父の絵の中で、私を囚人とした絵は最も奇なる絵だった。


夕陽をバックにした赤い城、そうかと思うと空は青く、月も出ていた。


何故その絵に惹かれたかは判らない。


暇があれば、その荒唐無稽な絵に見入っていた。


そんな自分は覚えている。


祖父は


「そんなに気に入ったんなら、俺が死んだらやるよ。」


と約束してくれた。


10年前の12月某日、祖父は亡くなった。


しかし、絵は私には来なかった。


親族や私の両親は、死んだ祖父の形見分けを素早く、死体を漁るハイエナの如く済ましてしまった。


祖父の持っていた骨董含め、絵も全部処理された。


大体は捨てられたそうだが、幾人かの自称芸術家に何枚かは持って行かれたらしい。


祖父が亡くなった心境は勿論寂しいがそれよりも、ハイエナの餌の漁り方に学生ながら悔しさと軽蔑の念を覚えた。


悲しかったのだろう。


10年も前の話なので、あまり心境を具体的に表せない。


こうして書いていても、あまり具体性はない。


祖父が亡くなってから、いままで私の心には、鮮やかな赤い空と青い石の城が忘れられなかった。


高校、大学の授業中に気づいたら、絵を模写していた。


時にルーズリーフ、時に黒板、時には実習中に夢遊病みたく、デッサンしていた。


絵を見ていた同級生は、唖然としていたり、無茶苦茶だと真っ当な感想を述べていた。


或る日、大学卒業間近に控えた授業中にまたやらかした。


論文の後ろやテストの後ろの余白に書いていた。


それを見ていた私の主任教授は、


「なんだ?それは?」


と疑問を呈した。


答えに窮した私は、何も答えられなかった。


「授業後、私の研究室に来なさい。」


顔から血の気が引いていくのを感じた。


授業後、死刑台に上げられる囚人が如くふらふらと研究室に向かった。


ノックをして、研究室に入る。


教授は楽しそうにこちらを見た。


「君の書いた絵はこれだろう?」


そう言って取り出したのは、あの絵の写真だった。


私はその時に因縁を感じた。


言葉は出なかった。


「これは原物だよ」


教授は白い風呂敷から、赤い空と青い石の城の絵を取り出した。


もう言葉は要らなかった。


「これはね。アンコールワットの全てが描いてあるんだよ。」


優しく語ってくれた。


祖父は1960年代、内戦が激化する前のアンコールワットを見ていた。それは正に夕陽に赤く染まり、かつ水に囲まれ、青く染まった石の城であった。


あまりに美しい。


祖父は恋した。


もう一度、来よう。


決心した祖父だったが、内戦が始まりやがて国は荒れに荒れた。


やがて、祖父はもう一度渡航するが、あの時の赤い空と青い石の城では無かった。


悲しみを讃え、赤く染まった血塗れの石の城だった。


祖父が哀しみ、怒り、やがてあの絵を描いた。


最初はあの絵だけだったが、疲弊していく世界を見て、その時代を絵に表し始めた。


あの絵は、あの荒唐無稽な絵は、祖父の怒りのメッセージであり、悲しみ表れであった。


全てを教授が語ると、教授は奇人である君の祖父は、奇なるイデオロギーと奇なる人間性を兼ね備えた、まさに奇人と評した。


それを聞いた私には新しく、祖父の嗚咽が聞こえて来る様だった。


荒んだ時代を見た人間の真実が込められていた。


赤い空、青い石の城は祖父の人間臭い、あまりに人間臭い怒りと喜びが混ざっていた。矛盾をして人を成す。それが祖父の真実だった。