雨が降り、水が滴る。
雨が降っていて、自分は居る。
雨が流るる中で、取り敢えず自分は居る。
それだけはそれだけは確かなんだ。
ハッキリしているんだ。
俺が俺、それだけは確かだった。
ただそれは何時からだろう。
何時からだったのだろうか。
生まれた時から俺な筈はない。
雨が残酷なのも昔からじゃない。
何時からだろう。顔に頭蓋骨を模した刺青を入れられ、血の涙を流しながら、血を吐きながら泣いている少女の夢を視ているのは何時からだった、だろう。いつから、いつから、いつから・・・。
紺と白の鮮やかな着物に、朱の帯を締めて、赤と白の鮮やかな着物に藍の帯、緑の着物に、オレンジの帯。毎日主人に着せ替え人形にされ、やがては玩具にされた。
嫉妬した妻は、彫師に強引に顔に刺青を彫らせた。愛情の裏ッ返しだ。
夫には愛を、少女には憎しみを惜しげもなく与えた。
妻のした惨劇を目撃した主人は、自ら恥じて自殺した。彫り師は服毒自殺に見せ掛けて殺された。
妻は?少女は?
少年は意識した。始めて考えた。
俺は何歳だ?あの時から幾つ年を取った?
傍らにある、スマホを視る。
あれから、あの時から5年経っていた。
マズイ。手遅れか。
雨でない汗が流れた。
バンコックで東洋人と白人相手に、後始末の仕事を受けて、プノンペン、マニラ、マドラス、横浜で其れなりに仕事した。肉体労働から拷問、始末屋紛いの復讐屋もやった。
血の匂いだけはしっかり覚えた。
少年はバンコックの街中を、スコールの中を走った。
ボートとボートの間を飛び越えて、狭い路地を抜け、メガロポリスの中を走る車の頭とボンネット、トランクを踏み台にして、更にはゴミ箱を台にして壁を飛び越えた。
路は彼しか知らない。
彼、以外には同じ路を進む事はしない。
する必要がない。
だが、彼には此れが最短距離に思えていた。
水上住宅の中を通り抜け、スラムで強姦している輩を蹴飛ばし、成金の金を外へ放り投げながら走り抜け、鉄道の屋根を駆け抜けて、チンピラが注射器と仲良くして夢の中へ行こうとしている所を海へ突き飛ばし、やがて仕事場へ帰ってきた。
エライ道のりだが、これ以上の最短距離は彼には弾き出せなかった。
ホテル覆水
看板がネオンで輝いている。眩しかった。
少女と妻の二人が頭の中をよぎる。
走ってきて身体中が熱く、息切れしていても其れが頭に上ると厭に冷静になれた。
ホテルは汚くもなく、綺麗でもなく。
華麗でも粗野でもない。
ただ、人はゴミ未満だ。
それだけは確かだ。
マダムは?
ホテルのカウンターに居る態度だけはデカイ中国女に聴く。
あ?自分で探しや。
ああ、そうだった。こいつにはやり方があった。
首もとの襟を捕まえ銃を抜くと、1発壁に撃つ。
ハヤクシロ。キガミジケエゾ。オレハ。
中国語で喚く。
怯えた中国女は応える。
わ、わかった。いつもの地下よ。悪かったわよ。
泣き出した。いつものことだ。毎日こうしていた。
もうひとつ聞いた。
顔に刺青を入れられた女は?
中国女は真っ青になって此方を向いた。
青い顔だった。草よりも鮮やかに、深海の水の如く、真っ青になった。
あ、あんたぁ、何でシッ・・・。
シの時点で引き金を引いていた。何回も引いた。
気づいたら血塗れだった。
そうか。まだ生きている。
確信づくと地下へ向かう。
地下からは他の掃除屋が大挙して襲ってきた。
一人一発ずつ、頭に撃ち込む。
時に二枚抜き、一枚抜き。
一人一人倒れた。時に重なって倒れた。
地下の奥へ行くと、部屋があった。薄暗い中で一人の女が、老女が鋭い目で此方を見据えた。
おい。あんたの姪はどうした?
聞くと更に顔を険しくして怒鳴る。
あんたに良くしてやって、あんたに飯食わせて、あんたに仕事をやって、更には喜ばせてやったろ?なのに、コノヤロウ!!
老女はライフルを構えて撃つ構えを取るが、その前に少年の引き金の方が早かった。
頭から紅い糸が吹き出す。
老女にもう1発更にもう1発、もう1発と銃が空になるまで撃った。
もう影も形もない。肉だけが残った。
少年は笑った。
これじゃあ喰えねえなあ。
愉快だった。
カレンダーを視る。
あの記憶の時から、早5年と少し、10年未満が経過してた。
また笑った。
俺は今まで何をやって来た?復讐代行から、密輸、国際援助団体の物資輸送代行、ユスリとタカり、クスリの売人を捕まえて海へ放り投げたり、地雷撤去何でもやったよ。
でも俺は渇いてた。餓えてた。
腹一杯喰って、飲むだけ飲んでも癒やされねぇ。
何でか忘れて、何でか消され、まるでバカだ。
笑った。笑いこけた。やがて泣いた。
最後、気になっていた、あの女の子を少女を観たい。
それだけが動く理由と化した。
その鍵はもう殺しちまった。
ならばもう一つを探そう。
部屋中を叩き割り、部屋中を壊した。
戸が外れる音がした。
壁に隠されてた隠し部屋への進路だった。
この先に居るな。
少年は走った。身体は軽い。まだまだ走れる。
直ぐに終りは来た。彼女は居た。横になって寝ていた。
少年は手を差し伸べて、少女に触れる。
少女は無惨にも、綺麗な顔には彫りが彫られ、身体は冷たい。
冷たさは異常だった。
周りの温度を示すモノはなかった。湿度計も、温度計もない。
ただただ寒かった。
彼は再び泣いた。泣き狂った。
俺は何のために生きてたんだ?何で生きてたんだ?何で生きるんだ?
泣いた喚いた。
気づけば、機械的にしか換算してなかった年月が身体に刻まれてた。
身体は大きくなり、日焼けして、手は今までの苦労と苦悩を物語る。
年月が刻まれると、次には記憶が頭に刻まれた。
復讐代行の時に、許しを乞う人間を地雷原に放り投げ、吹き飛ぶ身体に花火と名付けたり、地雷撤去の時に安く上げる為に使われ、仲間が吹き飛んだ時、慈善家はああまたかと苦笑い、ボランティアがしくじって身体が吹き飛んだら、バカが減ったと苦笑いし、国際慈善団体のインタビューには哀悼と現状への無念と更なる助けを求めた。2つの顔のおぞましさを思い出した。
あらゆるものがあらゆる形で吹き出した。
心が今まで感知しなかった分を感知した。そのツケはでかかった。
血の涙を流しながら、少年は青年へと変わった。
青年は少女を抱えると、走り出した。
スラムの家の中を抜け、水上住宅とボートの上を駆け抜けて、車の上をひたすら走り抜け、線路の上を抜け、海を目指した。
街はパニックだった。
狂人ランナーが町中を走り、ホテル覆水の闇が一気に壊滅。闇の代行屋が一つ消えて、それまでの悪事が明るみになった人間がどんどん捕まっていった。
正義には至らずとも悪は一つ消えて、平和には遠い喝采が湧いた。
青年は海を観ていた。少女と共に観ていた。
違うのは一方は生きて、一方は死んでいる。
それだけだ。俺達を阻んでいるのはそれだけだ。
青年は笑った。
今までの自嘲に満ちた笑いではなく、心の底から楽しそうに明るく嬉しさに満ちた笑顔を、太陽に向けた。
青年は太陽から、少女が降りてくるのを見た。
彼女も何処か嬉しそうだ。
青年は彼女に語りかけようと、彼女と共に柵を越えた。
二人は漸く会えた。二人の間には言葉はあまり要らぬようだ。此方を一瞥すると、太陽へと歩き出した。青年は少年になり、少年は少女と共に太陽へ向かう。
狂人ランナーとホテル覆水の事件から1週間の後に、狂人ランナーとおぼしき水死体が上がる。狂人ランナーの顔はその他のとは違い、何処か嬉しそうだった。狂人ランナーの隣には、着物を来た白骨死体が隣に並んで、手を繋いでいた。
坊さんがその二人を見付けると引き取り、二人の冥福とこの二人の奇跡を祝福した。
世界は少数の光の為に、多分の闇を作り餌とする。光は闇なくして光に非ず、闇は光なくして闇に非ず。白が黒にならず、また黒が白にならぬ道理はない。