海辺のオリオン隊 -4ページ目

海辺のオリオン隊

こんにちは。wangと申します。

小説と簡単な詩を作ってます。

おっさんは喚く。
おっさんは絵を描く。
おっさんは笑う。

毎日来て、毎日呑んで。

自由だなあ。

ある日だった。

遂に倒れた。居酒屋で机を前に、うずくまる様にして倒れていた。

ずっと起きないから寝てるのかと思ったが、九時になろうとも起きないし、なにか変だと思った店員が、様子を見たら、青い顔をしていた。

救急車で病院に運ばれるも、直ぐに霊柩車に変わった。

葬式はなかった。墓もない。

親族は、あんなキチガイなぞに墓はいらねえよ。むしろ家を名乗って欲しくないわ。そう語ったらしい。

らしいとは、私が直接聞いたからではないからだ。

必然的に、遺留品整理もない。全て棄てられた。

おっさんは、私の記憶から消えそうだったが、そう簡単には消えなかった。

阪急だ。近鉄だ。喚いて、酒をかっ喰らってクレヨンで絵を描いている。こんな強烈なのはそうはない。

おっさんは私の記憶の隅に生きていた。

当時医科大に居た私は、卒業後、おっさんは病院ではどんな風に生きていたのかを知りたくなった。

論文書くでなし、治療するでなし。興味だけだった。

おっさんの病院は呆気なく見つかる。山陰の田舎の病院だった。まるで収容所だった。

院長に目通りして、婦長に挨拶、担当医にも話を伺う。

3人ともいぶかしげにしていた。

院長が白い髭をなでながら聞いてきた。

貴方は彼の家族か?家族の承認は得ているのか?

私は、許可は頂いていないことと、おっさんの最期を伝えた。家族の反応も伝えた。

院長初め、3人は顔を見合わせたあと、涙ぐんだ。

同情したのかを尋ねると、婦長に、あんたは酷い奴だなとやり返された。

院長が、いや、貴方が尋ねるのは最もだと言った。

彼は、彼の事を全く知らんから無理もない。

院長は彼の話を始めた。

以下はおっさんはおっさんで統一する。

おっさんは幼少の頃、此所に連れて来られた。

親父は地元の名士、母は妾。今風に言えば、母は不倫相手だ。

子供時分のおっさんは、落ち着きはないばかりか、ひたすら動いて動きまくる。我儘は言いたい放題。人は簡単には殴る。怪我させる。

多動だった。ADHDとアスペルガーと言い替えれば良いのか。そんな子供だったのだ。

家では祖母にきつくしつけられるも、功はなし。祖母を最終的には殴り付け、蹴られ、怪我をさせ、家の植木、家の柱を伐ってしまう。

幼児にして家の木まで伐るとはなかなかないが、恐らく植木職人の様子をみて覚えたのやもしれぬ。

手に余った親父の一家は、最終的に監獄、もとい病院に入れてしまう。当時のカルテはない。必要ないのだ。権力あらば何をしても構わない。そうともとれる処置だ。

母はそれを知ると泣きついたが、父に押し付けられ、もう一度生めば良いと強いられた。

やがてもう一人子供が出来たが、母は自殺。

父の方は平然と、身元引き受け人がいなくなったなと言うだけだったらしい。

父はその後、政治活動に従事して家の名前を高めて、長寿を全うした。

こんな奴でも長生きするんだなと思った。

おっさんは、病院でもあまり落ち着きはなかったそうだが、あまり周りは煩くしなかったらしい。

らしいとは、もう同じく入院していた患者は死んだか、退院したからだ。

おっさんは、ある日担当医に山下清の画集とゴッホを見せた。

感激したらしく、何度も見返したとか。

また山陰の病院でも、比較的自由で、グラウンドで野球したりテニスやったり、サッカーやったりと、運動は出来た。

おっさんは、そこで野球に夢中になり、ルールから何まで、別の患者から教えられ全て把握した。

おかしいのは精神科の患者はソコまで動けるのかという事だ。クスリで動くのがしんどいのが常識なのに何でそんなに活発なのか。

院長に尋ねる。院長は昔は此所はロボトミーの手術専門の病院で、術後の患者と術前の患者しかいない。

外科手術が廃止された後は、主に薬物療法が主流になるも、手術の後は薬、薬で埋めに来たかと考えるとうんざりした。只でさえ手術は嫌なのに薬に替えて楽になるとは思えない。

そう考えたら、必要ないなら薬は極力やらないようにして自由にやらせりゃ良い。

山陰の奥地。病院の外は森と山。

ここからは簡単には逃げられん。
ならば、なるべくの自由をくれてやろうとそう考えた。院長は語った。

おっさんはここで育って、ここで生きていた。

山下清とゴッホに魅せられ、野球が好きだった。

彼と野球仲間の特別な時間は、野球中継の時間だった。

珍しく、セ・リーグよりパ・リーグが良く映り、当然パ・リーグ好きになった。

阪急、近鉄、南海はここから始まった。

おっさんは担当医から絵の具と筆を貰った。

最初に母を、頭の中に覚えている母を描いた。

出来映えは素晴らしく写真みたいだった。

その内に壁にも描きはじめた。

青い空と草原。西宮球場、藤井寺球場。テレビで見た町や、ゴッホの真似とも取れる絵をひたすら描きまくった。

明るくなるそんな矢先、一度だけ院長が変わることになった。他の病院で代理を頼まれた院長が暫く留守にして、院長の代理を立てた。

その代理が、精神病院の権化みたいな奴だった。自由時間は中止。薬物療法の積極的実施。従わない者には罰として、電気ショックで痛い目に合わせる。麻酔なんかはない。殴る蹴るも当たり前と化した。

酷さを訴える医師、看護師は辞めさせて、時分の知人の積極的採用に移行。暴力病院、収容所となる。

おっさんは壁に絵を描いている所を横から殴り飛ばされ、絵の具も取り上げられた。壁に描かれた絵は狂気の沙汰とかで、全て消された。

半年後、元の院長が戻るが、自由さも糞もなかった。

院長が代理に抗議すれば、私は当たり前の事をしたのだ。良いことをしたのだ。今までの方が狂ってるのだと言い放った。

院長は出る前に全てを話したと語るも、冗談だと思われていた。

とにかく全てを戻すために、元の医者、看護師を探すも戻ったのはわずかだった。

今はその僅かで運営している。

おっさんはベッドに縛り付けられ、点滴をうたれて横になっていた。

壁は彼の描いていた絵が全て消されていた。

病棟いっぱいに描かれるはずだった絵は、白いペンキに無慈悲に消されていた。

その後、10年してようやく、おっさんは良くなった。動けるようになった。

絵の具も返してもらい、また描きはじめた。

燃える火を描いたり、壁を赤く塗り、その上から描いたり、壁を青く塗ってから絵を描いたりとあらゆる場面場面の絵を描きまくっていた。

院長はその後、病棟に描いた絵と、前の院長になんとか棄てられたなかった絵を出してきて、個展を開いた。

山下清の再来か。とも新聞には書かれた。

院長はカルテから切り抜きを取りだし見せてくれた。

それを見たのか、おっさんの親族はいきなり彼を引き取るとして、押し掛けてきた。

院長は彼等は身元引き受け人になれないとして追い返した。

数日後、今度は弁護士が来て正式な家族だと主張して、無理矢理出させた。

その後おっさんは、選挙の材料としてひたすら絵を描きまくらされた。親父の肖像、家の先祖の絵屏風なども描かされた。

選挙での祝勝会で酒の味を覚え、酒を浴びながら、奥座敷の部屋で絵を描いた。

周りは敷居ひとつなく、雨にうたれ風にふかれ、絵を描く。

病気になれば治すも、政治利用以外は放っておかれた。

彼の甥が近くに来れば母親が、キチガイに近づくなとひっぱたいた。

彼を引き取ったのは、叔父である。また最期に放ってしまったのも叔父である。

院長がなぜ其処まで知るのかを聞くと、珠に出てきて調べていたらしい。彼とも会っていた。

居酒屋が彼との待ち合わせ場所だった。

それだけ話すと、院長は溜め息をついた。

最後に御見せしたいものがある。

語ったのちに私を病棟に招き入れた。

私の目の前には青空と花畑が広がった。赤の花は牡丹や椿、ハイビスカス、青の薔薇にアヤメ、桜は木がなくとも吹雪いていた。

全ては絵なのにその中に吸い込まれていった。

各病室には、森が描かれたり、洋風の城、石の城、夕焼け、ビーチ、またも吸い込まれた。

見とれている私に、院長から声がかかる。

ここはもう閉鎖をしたが、あんたには最後にみてほしい。

鍵のかかっている個室が開けられ、ライトがつけられる。

目の前のキャンバスには、和服を着た女性の絵が目に入った。おっさんの母親だと悟る。
向かって左には女性が子供を抱いてこちらを見ている絵があった。お母さんに抱かれた幼少のおっさんだろう。
右には、もう今はない藤井寺球場のゲートや西宮球場の絵が描かれていた。

下を見なされ。院長が促すと、下には山陰の山々と自然があった。

もとの写真は院長が持っていた。絵は、そのままを淡々と写し、静かにその深淵を画く。

私は静かに涙した。

この世は冷酷にして無情。されど時として映る情や美しさは決して、無ではない。

私は、今、満たされている。