みんな、お待たせしました。:)

では、続きます。






一旦、僕は家に帰りました。



書類の準備する前に

事務室の登録のため、

両親から同意を得なければならなかったですね。






それで、母に家の住所をちょっと借りてもらえばどうかと聞きました。

答えは、

「ジョンソプ、外で何をしているの。正気付いて勉強しなさいよ。」





がむしゃらに親の意見に手向かってはだめだと思って、

ちょっとじっくり考えることにしました。






先に、この仕事をしようと思った理由について考えました。

1.特別な経験のため

2.大学生があんまりしない仕事がしたい。

3.事業としたら、何かすばらしい感じかする







両親の反対にもかかわらず、

ただこんな理由だけで事業を始めるのは無理だと思いました。






で、揺るぎない僕だけの価値観を持つことにしました。

ある仕事を始める前、そんな価値観があったら、

選択の決定にあってもっと易しくなるからです。






思い悩んだ末、人生の目標を立ちました。


1.正しく, 正直に, そしてまじめに生きて行く。

2.社会的に力量ある人で成長して, 楽しくて価値のある事をしながら生きて行く。

3.男子の漢字意味は'田'を耕せる'力'を持つ人ではなく、 '十'人の'口'を食わせる力を持つ人だ。 家族の以外に、難しい環境の中で生きて行く国内外の隣りたちに真正な意味の奉仕を実践しながら生きて行く。







あー、胸がどきどきする価値観だ。




結論的に、今すぐ事業を始めるのはちょっと無理だと判断して、

それよりはいろんな公募展に参加してみようと思いました。。






で、11月中、

1.BOHAEという酒類会社の企業のブランドバリューが上がれる戦略企画のコンテスト、

2.ある化粧品の会社のSNSを活用するMarketing competition、

3.全南大学校の広報UCC Contest

に参加しました。




寝なくて熱心に準備しましたが、入賞には失敗しました。


でも、まあ、いい挑戦だと思いますね。:)







一方、11月から難しい環境の中で生きて行く海外の隣りのため、

UNICEFとWDRO(World Disaster Relief Organization)に

毎月、定期的に後援してます。

今から実践するのか重要だと思いましたからです。










12月20日~2月11日。

その時、KT&Gという韓国のタバコ会社でインターンで働きながら、

マーケティングの実務の教育を受けました。


主要な活動の内容としては






1。CVS営業の体験

顧客にKT&G対するブランドコミュニケーションをすることでブランドスイチングをすることを目標にします。

2。チームプロジェクト

KT&Gの新規の事業の計画案、担当部署の年予算の活用案, 新製品プロモーション戦略, 紅参事業の計画案などを作成してプレゼンテーションします。

以外にいろんなビジネスの教育








この期間、

特別な成果ってぜんぜんなかったのに、

会社からこの7月、

15日間のイタリア旅行の全費用を受け取ることになりました。

今までもその理由が分かりません。

実にアイロニーだと思います。(笑)








時間は本当に速かったです。

したこと、あんまりなかったと思いましたが、

すでに僕の最後の学期である3月が始まりました。







月始めにのSAMSUNGの採用公告を確認しました。



おっ!

ちょっと志願しようかなと思って、

ネットで会社の情報を検索してみました。




三星電子(Samsung Electronics)は求職人が選んだ、

入社したい会社で一位でランクされていました。






やっぱり、無理だろうと思いましたが、

一度、挑戦したいと思いました。







書類選考はあんまり難しくありませんでした。

(志願の資格:成績の平均3.0/4.5以上の方は合格) 






次はSSATという職務適性の試験で、とても難しいです。

試験のため、ソウルにある試験場に到着しました。



すごく多い人派で本当に驚きました。




そんなに多い人々がサムスンに入社するために来たと思って、

自信感が無くなりちゃいました。

そして、その試験の後、不合格を確信しました。







光州(僕が住んでいる地域です。)に帰って、

親にそんなに報告しました。

「父!母! たぶん僕、8月頃、青年失業率にコントリビュートするかも、、、」





数日後、あんまり期待しなくて、成績の結果を確認したら、

あり得ない。合格しちゃった。






面接の日は10日後。(面接は5ヶ所で2週間行われる。)




速く面接の準備をしようと思いましたが、



何を準備したらいいのか分かりませんでした。




結局、新聞とかちょっと読んだ以外には

何もしなくて面接のため、ソウルに行きました。







面接はプレゼンテーション、討論、人性との三つ。

志願した方はみんな、きちんとした服装で、

何かエリートの感じがしました。



反面、そんな雰囲気の中で僕はとても緊張しました。




面接の内容は非公開で話せませんけど、、、(すみません。(泣))





今、記憶に残るのは二つでした。




一つ、自己紹介。



僕は自分のことについてこんなに話しました。

「私は語学のため、海外にいたことはありません。でも、英語のサクールで熱心に英語の勉強してます。また、独学で日本語の勉強もしていて、昨年はハロとの日本の企業でインターンで働きました。」







そうすると、次の方が

「私は高校時代からアメリカで生活しました。ミシガン大学(アメリカの名門校だと思います。)を卒業した後、今は海軍兵学校で将校で軍服務中です。(韓国は2年間の軍義務があります。)数日前にはブッシュ前アメリカ大統領が訪問して通訳を担当しました。また、大学時代には一年間、日本の大学で勉強して、以後一年間は日本の企業で働いた経験があります。」






ああー。その時、突然笑いが出ました。

えらいじゃ。

こんなにすごい人材と一緒に座っているのがいい経験だと思いました。

その以後、むしろ緊張しなくて、楽な心で面接に臨めました。









二つ、この会社に入社したら、どんな仕事をしたいですかとの質問で、

初めは戸惑いましたが、こんなに答えました。



すべての内容の意味を日本語で翻訳することがちょっとむずかしいけど、

要約すると、




「私はサムスンがただ世界で一番大きい会社ではなく、世界で一番尊敬される企業に作りたいです。すべての社員と明るくて暖かい会社のビジョンを公有しながら、製品以上の価値を顧客様にプレゼントしたいと思います。サムスンは私が責任を取ります。」







今、考えてみたら、本当に子どもっぽいですね。






面接が終わった後、

先のミシガン大学の出身の方がやってきて、

もしよかったら、一杯飲みに行きましょうかと

話してくださいました。







あり得ないけど、僕にはこんなこと、たびたびありますね。

僕はオッケーと言って、近くの食店で韓国の焼酎、3本飲んでから家に帰りました。




結果的に彼と僕は面接に合格しました。



彼が合格したのは当たり前ですが、僕が合格したのはたぶんコンピュータの処理の過程から誤謬が発生したと思います。






ちょっと長かったでしょう?



ありがとうございます。


僕は今からそろそろねます。:)

HALOのインターン、ジョンソブです。久しぶりですね。こんなにAmebloに僕のことUpdateするの。

昨日、矢野さんにブログ更新することを命じられました。:)
で、今日はHALOのインターンシプが終わった後、したことについて書きます。
たぶん、僕は日本語がかなり厳しいから、諒解お願いします。


韓国に戻って、
矢野さんが話してくださった、
「自分がしたくて我慢できない仕事をちゃんと探してせよ。」
との話を実践することにしました。

考えるだけでそんなことを探せないはずだと思って、
いろんな経験をしてみようと決心しました。


9月の下旬~10月の初旬。

9月には商売を始めました。
あちこちの大学、地域の祭りをまたに掛けて、
パイナップルやわたあめや爆竹などを売りました。

二人の友達と三週間、約30万円ぐらいを稼ぎましたけど、
毎日の仕事が終わったら、いつも飲みに行きました。

面白い仕事だったけど、時間が経ったら、
何か仕事の興味も意味も無くなっちゃいました。

結局、こんなことより、勉強したほうがいいと思いました。


10月の下旬。
一所懸命、勉強しよう。面白い!!
でも、三日坊主だった。

やっぱり、勉強は無理だったのかな。
勉強って、あんまり好きじゃないから。(笑)

学校の図書館よりは、
大部分の時間をゲームセンターでつぶしました。

ある日、偶然にネットでF1 World Grand Prix Staffの募集の公告を発見しました。
面白そうだと思って、すぐ志願しました。

Luckyだったと思います。面接に合格して、Media Centerで働くことになりました。

一週間、F1 Circuitの周りにあるHyundaiの特急ホテルで、
外国人ジャーナリストの受付と登録を手伝いました。

その中、富士テレビからきた方に会って、
日本語で話しかけたんですが、
僕が言った日本語、わからなかったそうでした。

とにかく、その間、
Michael SchumacherやSebastian VettelからAutographも
もらったし実にすごかったです。


11月。

11月3日から7日まで、
日本の大阪大学でSymposiumがあって
僕は大学の代表として参加しました。

Symposiumは4時間ぐらいだけで
余った3日間は大阪大学の学生たちと観光しました。

彼らと話しながら
日本の大学生が悩んでる将来のことが
韓国とあんまり違わないことを気付いました。
大変ですね、私たち。頑張ろうよ!!

暖かい心を持っていた大阪大学の女学生たちは

私たちが韓国に帰る日、泣きました。

私も悲しかったけど、丈夫だから。
I Miss all of you guys. :)


韓国に帰って、
今までしたいと思った事業を始めることにしました。
HALOから学んだKnowhowを元にSNSを利用して事業を始めようと思いました。

知ってることはあんまりないけど勉強したら大丈夫だと思いました。

まっすぐ事業の登録のため、家の回りの役所に行って登録を申し込みました。

そうにすると、担当者は不審そうに片方の眉を上げました。
「事業の登録はここではなくて、税務署に行ってするべきでしょう?」
なるほど、、、そうだった。

すぐ、タクシーに乗って税務署に行きました。
そこの担当者は書類が必要だと話しました。

なるほど、、、
私は基本的な名前と身分証明書でオッケーオッケーだと思ったのに、
何か複雑になる気持ちでした。


今日はここまで。
一日中、書いたのにこれだけですね。(泣)
明日はもっと頑張ります。

楽しみにしてください。

すでに彼の企業説明は終わって、

「僕はHaloでインターンシップをしたいんですが。」って言った。

社長はちょっと戸惑っているようだったけど、

すぐ、「じっくりご検討いたして、またこちらから連絡いたします。」って答えた。


日本に行くと思ったら胸がドキドキした。

少し後で、翻訳を担当する方とみたい方か来て

彼から韓国語でHaloの採用計画と採用のWeb-pageについて教えてもらった。


実は

その日、次の授業に出席しなかった。

胸がドキドキするしHaloのことがとても知りたくなって、

経営大学にあるPC室で、翻訳の担当者から教えてもらった採用のサイトと

社長からもらった名刺にある社長のブロぐに入って

どのような企業が調べてみて、

Haloのインターンになることにした。


まだ面接も行かなかったが、

心はもう日本の渋谷で働いていた。


もちろん、今はとんでもない日本語の実力けれども

必ず、面接の日まで熱心に勉強して合格しようって思った。

予想問題の質問を作って答えも準備した。

でも、僕、本番によわいやつかもしれない。


面接の日、準備しておいたことを全部忘れてしまった。

原始人みたいに答えて、落ちたのか思ったのに

結局、合格した。


社長、最高!!

矢野さんは僕の日本語よりも

インターンをしようとする熱情がよかったと話くださった。


そして、僕は今、日本での最後の夜を過ごしていた。

何か、夢みたい感じもする

日本での経験はすべてのことが初めだったから

いつも面白かった。


企画書の作成、マガの作成などの会社の仕事と大事なことし

日本の温泉、花火、お祭り、美しい海に行った経験も大事なことですけれども、


何よりも記憶に残るのは矢野さんの一言だった

「自分か我慢がならないほど、やりたい仕事をせよ。さもなければ、後悔するかも。」


多分、日本とか韓国とかは関係なくて

この頃多い若者はただ

給料も高いし、社会的に認められる仕事をしよう思っているようだ。

もちろん、僕もそうだった。

でも、もう違う

自分が絶対したいと思う仕事を探す。胸がドキドキする仕事をする。

あした、韓国に帰ってから、ちょっと別の暮らしをしようと思っている。


もし、事業をすることにしたら何の名前がいいか

矢野さんの会社はHalo(Halo effectを意味

多分、僕が会社を作ったらButterflyがなるかも


Butterfly effectのように

僕の友達が学生証を紛失した事件が

今の僕を日本のHaloとの企業で働かせた。


やりたいことを捜しようとする今の僕の心が

世界を変化させるかも。


とにかくHalo、最高。

韓国に帰っても、時間があればこのブログを更新するつもりです。

僕がしたこと、していること、しようとすることについてかきます。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。