ブログネタ:母の日の思い出を教えて? 参加中私はその他(自由記入)派
うちの母は、私が10歳の時に亡くなりました。それまでも、家業も忙しく、下の妹も生まれて、かかりきりだったし、祖父母も同居だったので、母とふれあうこともあまりありませんでした。
近くに叔母(母の実妹)も住んでいたのに、ほんの時たましか会いに行けないくらいでした。
それでも、クリスマスになると、時間をみつけては、編み物をして、手編みの帽子とかをくれました。
でも、私は、友達がもらった既製品の服や、可愛い人形をうらやましがり、たいして嬉しがりもせず、時には母に当たったりしました。
そして、ついに学校の作文以外は、母の日のプレゼントをあげる事もしませんでした。母の日の少し前に私の誕生日があるのですが、母が忙しすぎて、祝ってもらえなかったから。はじめて誕生日を祝ってもらったのは、母が亡くなった年に祖母の様子を伺いにきた父方の叔母がケーキを作ってくれた時。友達と同じように誕生日を迎えられて、嬉しかった。
本当は、母を独り占めできる時間が欲しかったのかもしれませんね。
幼かったとしか、言いようがありませんが、亡くなる前も、亡くなったあとも、今でも、いっぱい話したいことがあった。
プレゼントだって、今なら、靴下はもちろん、スカーフ、手袋、セーター、マフラー、何だってあげたい。
もちろん、私は、ひねくれてるから、きっと、素直に可愛くは、プレゼントしてないでしょうけどね。
最後に、これは、ほんとうに嫌な母の日の想い出ですが、幼稚園の時に母が亡くなった妹。行事は、脳溢血の後遺症を抱えながら、祖母が出席していたし、友だちも多い妹は、そう不幸せでもなく、幼稚園から小学校生活を過ごしていたのですが、ある時、泣いて帰ってきました。
当時は母の日には、赤いカーネーションの造花が配られて、作文を書き、お母さんに読んであげると言う事が行われていたのですが、妹は、カーネーションをもらえなかったと。
なぜなら、お母さんが亡くなっているときには、白いカーネーションだが、白いカーネーションの造花が無いので、造花は無しで帰されたと。しかも、それを言ったのが、先生だと言うことでした。
ほんとうに情けなく、悲しかったです。
あ、母が生きていたら、韓国に一緒に連れていきたい。娘と行ってもけんかになるし、きっと喧嘩したでしょうが、美味しいものも食べて、バッグも買って、文化遺産も見物して…。
そうなると、キム・ジョングクどころでは無さそうですが…。
タビオ “母の日フェア”
Tabioオフィシャルブログ We Love 靴下
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母の日の思い出を教えて?
・お母さんのサンダルやハイヒールを履いた
・こっそりお化粧をした
・一緒に料理を作った
・寝るまで本を読んでもらった
・迷子になってお母さんを困らせた
・その他(自由記入)


