こんばんわ!

多国籍人種のJo Moriyamaです!

 

年末にかけて

 

愛される技術→自由について→そして今回の自分らしさの創り方と連想ゲームのように来ています。

 

生きるなら、人から愛されて生きたいし(ブログには、真逆の事を書いています。)

自由もほしい(ブログには、真逆の事を書いています。)

そして、今回は、『自分らしさの壊し方』

でも、オラ自身『自分らしさ』なんて意識した事がないんです。

 

この世に、自分と同じ境遇にあった人はいない。

 

たったそれだけで、自分らしさって完了するんだもの。

 

撮影で目の前にした人は、

自分がしたことのない体験をしてきている新しい世界を見せてくれている人ー

 

これだけで自分も他人も尊いと想いませんか?

 

本来ならこれで完成されているはずなんです。自分らしさってのは。

 

じゃあ、逆に自分らしさを壊すためには何をすればいいのか?

 

自分が自分である事に恥と罪の意識を植え付ける。

 

日本人である事が恥ずかしい。そして、海外のアイディアを取り込む事こそ『正義』

 

これは、海外の高等教育においてよく見かける情景だ。

『ワタシは高等教育を受けてるから、自分の国の言葉は話さない!』

香港やインド、アフリカなどでよくみられる現象だ。

 

日本人同士で英語を話す人たちを見た事ありませんか??あーいう感じです。

日本人同士なのに、欧米人の言語で話すのは、もう自分のアイデンティティを自分で殺してしまった人たち。

日本人にも、欧米人にもなれないなんて、まるでオラのようだね。泣

 

言動が欧米人のアジア人のルックスなら、ルックスも言動も欧米人の方が、純正な感じしますもんね。笑

 

流行りや世間に振り回される。

 

人にどう見られるか気にして、自分を見失う。

 

ほとんどはこれ。人種や、国籍を超えて存在する。

でも、本当は、誰も正解を知らないだけ。だから、一番わかりやすい、時代の流行りの枠から出なければ大丈夫。

その枠の中から選んだものが『自分らしさ』と錯覚する。

 

オラはこう思う。人の心はそんなに強くない。

流されて心が安心するんだ。じゃあ、半分は流されよう。そして、半分は自分が着たい服、キュンとくる服。

子供の頃から大好きなもの。

 

 

自分のルーツを無視する。

一つ目にも共通するかもしれないが、 自分の親や、祖先が大切にしてきたものを尊重して、自分の人生の中に取り込んでいく。

自分の血やDNAに従う事こそ、自分らしさの根源であるし、その中に本物のあなたが存在している。

だから、日本人なら、日本の事をどの外国人よりも知らなくてはならない。

 

日本の事を説明できない日本人が海外に行って、答えられないなんて『自分らしさ』が廃るってもんだ。

イタリア行って、イタリアの事何も知らない人がいたら、あなたはどう想いますか?

 

では、明日もごきげんよう!

 

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