魅力ある人は、愛される事が多い。

 

それは、間違いないと思います。

 

魅力的なのだから。

 

この現代は、視覚からの情報におまりにも頼りすぎて、

我々は六感(聴覚、嗅覚、味覚、触覚、直感)が疎かになっていませんか。

 

視覚からの情報ではいる魅力って強力ではありますが、ほんの一握りですし、

我々は年を重ねれば、視覚に左右されない性別を超えた存在になるので、魅力を磨くには、男らしさ、女らしさ(女性性、男性性ともいうのかも知れないけど。)こういったものは、一時的な魅力、性的な魅力の話になりますよね。

 

自分の魅力は自分で感じ取る事はできないー

 

よって、意図的に愛されようって思っていても、策士的になって人を一時的に操作する技術は、真に愛される技術とは、異なると思います。

 

男女が結ばれるために、本当は、恋愛感情なんていらない。

男女の契りはー寂しさを紛らわし、子孫繁栄という最大の役割だからだ。

この事実にロマンチックさが一ミリもなくたって、これが叶えられれば、文句を言う人はいない。

 

愛し、愛される構図は理想だけれど、恋と愛の性質が明らかに違うことを理解していないと、策士的で結ばれた二人は必ずうまくいかない。

 

契りの結ばれた二人の愛と名前も知らない、不特定多数に対する愛は変わらず、

誰に対しても、同じ愛を届けると言う前提で行動をしていく。

 

ーこれが、魅力につながるのではないでしょうかー

 

自分が愛されようなんて思って、他の人に近づけばすぐにダメになる。

 

あなたが、幸せなら。

あなたを笑顔にできるならー

あなたの笑顔を見て、幸せを感じられるならば、この上ない幸せだろう。

 

人間が絶対に逃れることのできないエゴの中でも、

最も崇高なる『愛』は『仁』となり『徳』となる。

 

『仁』は二人以上の空間を穏やかで、安らぎに満ちた空間を作り、

『徳』は人を幸せにする能力であり、技術である。

 

魅力があなたから発せられている時は、あなたがこの世に存在していると言う事を認識できていない

ある種の『無』の境地に近いのかも知れない。

 

自分の中のエネルギーが、全て表に、外に発せられているから。

 

自分を認識できない。

 

大笑いする時、人を喜ばそうと気持ちが弾んでいる時、

真剣に何かに没頭している時、

寝ている時。

 

自分がどう見られるかなんて一ミリも見えていない。

 

あなたの中に魅力が一番出る時はそんな時。

 

愛される事を思ったら、愛が遠のいていく。

それは、悟ったと思った瞬間に、悟りが逃げていくように。。。

 

目の前にいる人の中を旅するように、その人になりきってみるんだ。

 

愛する技術が、愛される技術に繋がるのであって、

愛されようと思ってはいけない。

 

ーただ、自分のできる限りの愛を与え、受け取るか受け取らないかは相手次第。

何も心配する事はない。

 

その人には、その愛が必要がなかっただけなのだから。

それが、魅力的に見えるかどうかだって、人それぞれだから。

 

あなたの愛が届く相手には、魅力的に見えて、そうでない人には何も感じない。

魅力と愛はとても性質が似ているー

 

1月残り1名、2月の日程を追加しました。

 

 

 

ビューティートレーニングは残り1名の募集だそうです。