終身雇用は昔の話。
とはいえ、やっぱり勤めた以上そこで頑張ろうって思いますよね。
雇う側にも事情はある。
けれど、勤める側もそれぞれの想いを抱えて職場へ向かう。
1日の区切りは人によって違う。
その中で、どこに一番時間を使っているのか、
どこが「自分」でいられる場所なのかも、それぞれ違う。
今は組織から離れているけれど、
時折、いろいろな話が耳に入ってくる。
評価をする人、される人。
Aさんという人がいるとする。
Aさんは一つの顔だけではない。
妻であり、親であり、子であり、
誰かの隣人で、友人で、
趣味の時間を楽しむ人でもある。
けれど、長い時間を過ごす職場で語られる評価が、
いつの間にか人格そのもののように扱われてしまうことがある。
その空気の中で、心がすり減っていく人もいる。
逃げ場が見えなくなる人もいる。
確かに向き不向きはあると思う。
資格があっても、
環境が合うとは限らない。
協調性がないとか、
我が強いとか、
そんな言葉でまとめられてしまうこともある。
でも、別の場所では
本当に幸せそうに笑っている姿もある。
誰かを大切にして、
誰かからも大切にされている。
その人は、ひとつの評価で出来ているわけではない。
それでも、
長い時間を過ごす場所でうまくいかないと、
自分だけが劣っているような気持ちに飲み込まれてしまう。
「みんなが」という圧は、時に強い。
真冬に咲けない花があるように。
砂漠でこそ生きられるものがあるように。
逆に言えば、
場所が変われば、
そのままで力を出せることもある。
きっとたくさん努力している。
助言も受け取って、
自分なりにやっている。
それでもうまくいかない夜、
家に帰っても心が休まらないことがある。
それなのに、
子どもの笑顔にふっとほどけ、
家族のひと言に救われる。
ここにいる自分と、
あの場所にいる自分。
何が違うんだろう。
きっと、大きくは変わらない。
ただ、
咲く季節が違うだけなのかもしれない。
水が合う、という言葉がある。
水の合う場所に種を撒く。
ゆっくり根を張り、
やがて花がひらく。
人は、いくつもの種を持っている。
いちばん咲かせたい種を、
どこに置いてみたいか。
そんなことを、
そっと考えてみる時間があってもいいのかもしれない。