ぐるぐると、いろんな思いを語り合う夜がある。


少しお酒が入ると、

シラフの時には言えなかったことがこぼれたりする。


でも、あとになって思う。


あれは本音だったのだろうか。

それとも、

本音に触れたくて遠回りしていたのだろうか、と。


人はそれぞれの考え方や価値観でものを言う。


それ自体が悪いわけじゃない。


けれど、

自分がまだ生きていない痛みまで、

わかったように語れてしまうことがある。


大変さを想像することと、

その現実の中で生きることは、

やっぱり少し違うのだと思う。


だからこそ、

言葉を返してもらっても、

余計にひとりになってしまう時がある。


「みんな色々抱えてるよ」

「人それぞれじゃない」


そんな言葉に救われる時もあるのだろう。


でも、

今欲しかったのはそれじゃなかった。


吐き出したあとで、

やっぱり言わなきゃよかったなと思う夜がある。


わかってほしくてこぼしたはずなのに、

こんな話に付き合わせてごめん、と

あとから自分で自分に蓋をしたくなる。


痛みは、

簡単に分かち合えるものではないのかもしれない。


だから外に答えを探しにいっても、

欲しかったものがそのまま返ってくるとは限らない。


それでも、

何をわかってほしかったのか。

どう言ってほしかったのか。


そこを自分で見つめていくことは、

きっと無駄じゃない。


折り合いは、

誰かに求めるためだけにあるものじゃないのだと思う。


こぼした声を、

もう一度自分で拾いにいくこと。


寂しさの正体を、

自分の手で見つめていくこと。


その先で、

もし誰かの共感に出会えたなら、

それは答えそのものではなく、

あたたかな副産物なのだと思う。


人は所詮ひとり、

そんなふうに言いたいわけじゃない。


ただ、

価値観の違いや、

見えている景色の差を投げ返された時に、

壊れてしまうくらいなら。


まずは自分で自分を保てる方へ。


今は、その方が

生きていける気がしている。