日本の高齢者は年々増えている。

親が100歳なら、子供だって80歳前後。

もう、みんな高齢者だ。


わたしでもそうだが、いろんなことが月日と共に記憶が曖昧になる。


父はずっと自営業者だった。

自宅を事務所兼自宅としていた。

ガラケー時代からメールも覚えないという頑固者であったが、パソコンは扱っていたようだ。


コロナが出始めた頃、脳梗塞で倒れ、麻痺が残ってしまった。


それでも自宅でサービスを受けながら一人暮らしをしている。

そこまではあっぱれ。


なのだが、それを機に自分の身辺整理をし始め、あれやこれやと記憶を辿るのだが、肝心なことが思い出せない。


通帳に見慣れない引き落としがある。

『自分が契約したものではない』

その想いから、電話をよこす。

解約手続きをして欲しいと。


通帳を見ると、他にも覚えのない引き落としがある。


契約書も、記憶もない状態。

ましてやろれつが回らない。

麻痺もある。


それでも電話口の担当者は本人確認をと言う。

娘だと言っても、配偶者しか対応基準を満たさないという。

委任状も本人直筆でという。

無理なら診断書を取ってきて、なぜ代筆かの理由を明確にしてという。

ルーターの引き取りはダンボールを送るから返送して。

後日〇〇から確認電話が入るから対応して。


冒頭に述べたが、日本は高齢化社会なのである。

そして、みんながシャキシャキ元気な老人大国ではない。


その中で、これだけの確認や手続きを本人がやらなければいけない。

生きて会話ができる『今』で良かったと思ったが、それにしてもだ。


そんなのもっと早くやっておけば。

書類の整理をきちんとすれば。

家族間でもっと会話があれば。


後出しジャンケンみたいなことを言われても困ってしまう。


この状況は高齢化社会だからだけではない。

確かに個人情報の観点とか色々あると思う。


しかし、このシステムは誰に寄り添っていて、誰に優しいのだろうか。

電話越しの人もマニュアル通りなのだろう。

ずさんな対応だったわけではない。


でも、釈然としない世の中の仕組みを垣間見た気がする。


そして、残すものはお金だけではないのかもしれないとも思った。

整理されない契約や記録。

曖昧なまま残されたものも、結局は誰かが受け取ることになる。


人ごとじゃない。

わたしの明日だってわからない。

残り40年生きる為に走ってる。

なのに、明日終わる計算は中々出来ない。


歳をとることが憂鬱になる世の中でないこと。


何が一番か、最善策わからないけど、本気で向き合わなければ、いずれ自分もその輪の中に入ってしまう。


子供として出来ることは何なのか。

そんなことを考えながら、家路へと向かった。