日本人の美徳の中に、謙遜という文化がある。
例えば、相手のことをたくさん考えて、
あれかな?これかな?と時間をかけて、
自分の中では精一杯の贈り物を準備する。
でも、いざ渡す時には
「つまらない物ですが」と
言葉を添えてしまう。
相手のことを思って選んだ一品。
「あなたのために選んだよ」と
そのまま渡せたなら、素敵ですよね。
「つまらない物」と前置きされた贈り物より、
きっとその方が、
受け取る側の気持ちも少し弾む。
それでも、つい保険をかけてしまう。
気に入ってもらえなかったら?
趣味じゃなかったら?
センスが悪いと思われたら?
ひとつだけ安全な逃げ道を用意しておけば、
相手の表情や仕草に
「あっ」と気づいた時も、
自分を守る言い訳ができる。
精一杯だったはずの気持ちを、
少しだけ書き換えてしまう。
相手に過度な期待をしない、
という方法もあるのかもしれない。
それでも私は、
やっぱり喜んでくれるものを
贈りたいと思ってしまう。
渡した後、
その品物に対してどう感じるかは
相手のもの。
でも、
相手を思って選んだ
自分の気持ちにまで
嘘をつく必要はないと思うから。
少し前に、
私から見たら子どもくらいの年齢の子と
話をしていた時のこと。
「付き合いだからってお茶して、
帰ってきたらすごく疲れてる。
それなら行かなくていいと思いませんか?
そんなの、友達じゃないですよね」
そんな言葉を聞いて、
はっとした。
友達、知り合い、付き合い。
曖昧な関係性を
大切にしなければ成り立たないと
思ってきた年代。
子どものママ友だから。
同じ職場だから。
ご近所だから。
本当なら、
自分から進んで選ばなかったかもしれない関係も、
「友達」「知人」という名前のまま
何年も続けてきた。
その時間が
すべて無駄だったとは思っていない。
窮屈さの中で
学んだことも、確かにあった。
ただ、
それを壊さないために
無理をし続ける必要は、
もうないのかもしれない。
わざわざ嫌われる必要はないけれど。
ひとりの時間も好きだと思える。
誰かと一緒にいる時も、
自分らしくいられる。
数は多くなくても、
そんな関係があればいい。
誰かを思う気持ちを
そのまま差し出せる距離感を、
私は、ちゃんと選べているだろうか。