🌾 言の波・構造を超えるシリーズ①


壊すしかなかった美しさ


家庭の味って、毎日食べているのに飽きがこない。

それは、作り手の体調や気分によって、少しずつ味が変化するからだそう。


今日はちょっとしょっぱかったり、甘すぎたり。

外では見かけない食材が足されていたり。

そんな小さな変化が、飽きのこない“家庭の味”を繋いできた。


時の中で

誰かと出逢い、そのたびに少しずつ両家の味が混ざり合って、

また新しい“家庭の味”が生まれていく。

それが、文化という名の見えないレシピ。


でも今は、味を整えてくれるものがたくさんある。


不味くはないし、手間も省ける。


けれど、どこで食べても同じ味になった。


それが悪いことだとは思わない。

むしろ、「こうせねばならない」という慣習から

やっと解放された結果かもしれない。


男は台所に立つな、家を守るのは女性――

そんな言葉が消えていったことは、

きっと誰かの願いが叶った証でもある。


だけど、時代が変わっても受け継ぐ方法を見つけられなかったものもある。

それだけじゃない。

それを守りたかった人もいれば、

形を変えて手にしたかった未来もあった。


けれど、法律が変わり、

もう壊すことも、形を変えることもできなくなってしまった。


手放したくても手放せない。

そんな“宙ぶらりんの現実”を抱えたまま、

人は今日も生きている。


壊すより、残すよりも難しいのは、

想いの置き場を見つけることかもしれない。


家事が好きじゃない私が言うのも何だけど、

病気をして家にいれば、

「手の込んだ料理でもしてみたら?」と声をかけてくれる人がいる。

「時間があるんだから、もっとこうしてあげたら?」とも言われる。


……はぁ、ってなる。


家事をしないでのんびり過ごすこと。

それを自他ともに“怠けている”と感じてしまううちは、

まだ、なりたい自分を心から信じきれていないのかもしれない。


ほんとうの信頼は、

何もしていない時間にも微笑めること。


守りたいものは人それぞれ。

家族もあれば、伝統もあり、土地も文化も、

たった一人の自分という命もある。


そのどれもが、その人にとって大切な糧。


願うとするならば、

そのどの想いも、言霊に乗せられるまで自分の中で温めて。

そして、言葉に出した時には、

何者に何を言われても、揺るがない言霊にしてほしい。


だって人は無責任だから。

価値観も、それぞれの物差しでしか測れないから。


だから、声高に言う必要はない。

言葉にして凹んでしまうのなら、

そっと心の奥にしまっておくのも、立派な作戦だと思う。


言葉にしないことで守られる想いも、きっとある。


どんな時にも葛藤はあって、

幾度も人は壁にぶつかった。


でも、今があるということは、

そのたびに出口を探す手立てを見つけられたということ。


だから人は、自分を生きられる。