世の中には俗に言うお家柄のいいお家というのがある。


家系図を見ずとも、代々すごい方々が名を連ね、お家の至る所にルーツが見えるものが普通に在る。


凄いなぁ。


素晴らしいなぁ。


思いますよね。


でも、当たり前な事なのだけれど、改めてふと立ち止まった。


『自分』がこの世に存在するということ。


当たり前だけど、受精した先に存在したものが『自分』

自分1人に対して2人が存在している。

また、その2人を存在させる為に4人の人が存在する。


その先、その先と辿っていく時

『自分』を起点にした時、逆三角形を築いている。


歴史上の凄い人を生み出すことも、自分が存在することも、プロセスは同じで、たった1人が産まれる為に、それだけの年月が組み込まれている。


中には子供に恵まれない方もいる。

早くにこの世を去ってしまう方もいる。

戦争や、災害もある。


でも『自分』という点になった。


自分の思う場所に生まれられているのか?はわからない。


でも、自分という点が存在するのは、ある意味奇跡なのかもなんて、考えてしまった。


こんなはずじゃなかった。とか、私なんてとか、不公平さに引っ張られてしまうかもしれないけれど。


ばんばひろふみさんのsachikoの歌詞にもあるように、『幸せと不幸せ』はセットで、しかも不幸せの方が多いって何となくうなずかされてしまう。


今の私なら


『心が綺麗って思えるなら素敵』

みにくいアヒルの子は、本当の姿じゃなくて、本来は白鳥になる。

まぁ白鳥だから良いわけでもないし。


と思えるようになった。


でも、共感を重ねる場所を見誤ると、不幸というラベルの方が多く貼られてしまう。


野球にはあまり詳しくはないが

凄いバッターと言われる人達も3割打者なんだそう。


毎日、毎日、何年も何年も苦しい練習をし、全力で己と闘っている。


でも、7割は打ててない。


私たちはそれを

こんなに頑張っているのに、なんでもっと結果に繋がらないのか?と結びつけてしまう。


でも、見るのはそこじゃない。


色々積み重ねてきた時間が、とてつもない力を貸してくれる。


10割打つために費やした努力がもたらした3割だ。

3割を目指したら、そこには辿り着いていないだろうから。


ただなりたい自分になるための気持ちさえ大事に出来たら。


起点のチャンスは持って生まれたはずなのだから。