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とある塾長の呟き

日々指導をしている中で感じていることや、
置かれている業界の環境など、とても多岐にわたる内容ですが、書いていきます
興味を持ってもらえれば、幸いです





夏休みの子供の憂鬱な一つとして「読書感想文」というものがある

私自身、その憂鬱な気持ちはよくわかり、また読書感想文そのものが必要なのかどうかも疑問に思っているのですが、保護者の皆様にとっても頭の痛い問題ですよね

しかしながら、読書そのものを否定するつもりは毛頭なく、むしろ読書は心を豊かにするので必要だと思っているほどである



なぜ読書はいいのか



その疑問に対しては累々積々議論を尽くされているが、やはり「言語を感覚で覚えること」と「想像する力」の醸成にあると考えています

たとえば、1冊の本があって、それを一言一句逃さず読めているのかと言われれば、決してそんなことはないわけです

フィーリングで読んでいる個所もあれば、眺めてしまっているページも当然あります

でも、内容はしっかりと抑えられている

なぜか

それは、「全体を通して、この部分はこういった意図で書かれていたんだ」と脳内が補完するからです

だから、多少読めない漢字があろうが、多少意味の分からない言い回しがあろうが、全然問題ありません

むしろ、本を読み進める中で、「あの時読んだ本ってどんな内容だったっけ」と思い返して、読み直すこともまた大切なことなのです



私が読書にはまったのは小学校5年生の時

国語が大嫌いな私に、当時の塾の国語の先生が「これを呼んでごらん」と渡してくれた1冊の本

田中芳樹さんの「創竜伝」という小説でした

創竜伝13〈噴火列島〉 (講談社文庫)/講談社

¥700
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当時の私からすれば難解な言語がならび、苦悩しましたが、

挿絵がCLAMPさんであったことと、SFファンタジーに中国の歴史が複雑に絡まったそれは、「なんかよくわからないけど惹かれる」となったわけです



そこから、「ミスビアンカ」シリーズや「怪人二十面相」シリーズなど、学校の図書館にある小学生向けの本を読みふける毎日

くらやみ城の冒険 (ミス・ビアンカシリーズ (1))/岩波書店

¥1,944
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怪人二十面相 (新装版) (講談社青い鳥文庫)/講談社

¥702
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中学に上がってからは、

大沢在昌さん→宮部みゆきさん→石田衣良さん→東野圭吾さん

と、当時の売れっ子作家さんの本を、どちらかというと作者に偏った形で読みふけっていました

新宿鮫 (光文社文庫)/光文社

¥637
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火車 (新潮文庫)/新潮社

¥1,069
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4TEEN (新潮文庫)/新潮社

¥562
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容疑者Xの献身 (文春文庫)/文藝春秋

¥680
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(同時に今のライトノベルの前身である、富士見ファンタジア文庫・角川スニーカーズ文庫・電撃文庫などもひたすら読んでいた気が…あ、JUMP J BOOKSも当時創刊されたのかな?)



別に純文学にどっぷりはまる必要もなく、いわゆる書店に並ぶような本をたくさん読みました



おかげさまで、難解な言葉や言い回しは、学校の勉強ではなく読書で補ってきたようなもので、それがあったから今の仕事にも生きていると思っています

読書は、学習の一環になっていると自信をもって言えるのも、その理由です



また想像力についてですが、本を読んでいるだけでは、「主人公の顔」「街の風景」「空気のにおい」など、読んでいる人の感性に依存する者が多数存在します

その空気感は絶対に誰にも共有でいないものです

それが自己の世界観を広げるきっかけにもなりますし、自分自身の価値観を広げる絶好の機会にもなります



私の私見ではありますが、読書は人生においてマイナスにもなりませんし、財産だと思っています

今年の夏は、読書感想文はともかく、それ以外の価値としての読書を感じてほしいなと思っています
昨日は自分の中で意外に盛り上がりすぎてしまった感のある、丸付けの是非についてですが、今回はその続き
前回の話から読んでほしいので、下のリンクからまずはどうぞ
【功罪を考える】丸付けを自分でやるということ(その1)

さて、今回は2つ目の分類である、「基礎内容の反復練習」なのか「応用問題の実践演習」なのか、です
この学習内容の違いによっても、答えを渡すか渡さないかを決めていきます
(実際は詳細に分類を細分化するので、一つのものに統一はできないのですが)

●基礎内容の反復演習は、できるまで徹底してやることが大切!

基礎内容、ということは、文法事項や公式の暗記とその活用を問われています
ということは、同じ問題を「覚えるレベル」で解くことが、理解への最短距離です
ただ、「問題を解説を含めて完璧に覚える」ことが必要であり、答えを覚えることとは違います

ここで問題なのは小学生(特に低学年)になります
先日でもお伝えした通り、小学生は「こなすこと」に意味を見出しますから、正解すればなんでも正義になってしまうのです
となると、答えを丸暗記して、とりあえずその通りに埋めてしまう
それを繰り返しても学力を向上させることは不可能です

小学校の間は保護者が丸付けを担当することが大多数ですが、それにはこういった深い理由も潜んでいるわけなんですね
ということで、小学生は答えを渡さない場合が多いです
丸付けも我々がやるか、授業前に子供にさせ、すぐに解答を取り上げることがほとんどです

これが中学生になると比較的簡単になります
答えに対して「なぜ」と論理的に突っ込める項目が飛躍的に増えるからです
彼らに対しては、答えを渡して何度も繰り返しやり直しをさせることが大切でしょう
そして、我々はゴール地点で、「なぜそうなるのか」を徹底的に確認してあげればいいわけです

●応用問題への取り組みとは

応用問題についても、実は上記の論理と比較的近しい形で推移していきます
ただ、結果は全く真逆となるのですが…
まず必要なのが「応用問題に取り組むだけのレベルにあるのかどうか」です
レベルに達していないのであれば、答えを渡します
なぜなら、まったく解けない、つまり解答が白紙の状態で提出されることが目に見えているからです
というわけで、彼らには答えを渡して、「分からなければ解答をそのまま解説も含めて写してきなさい」という指示を出します

ここで気を付けてほしいのは、彼らは「基礎」は固まっているという前提があるということです
「基礎」が固まっていない子にこのような指示を出すと、「答えを写せばいいんでしょう」となってしまい、まったく意味を成しません
それどころか、写すという作業だけをする時間が経過済ますので、効果はマイナスとなります
(厳密にいえば書き写す行為そのものにも意味はあるので、マイナスとまでは言いにくいのですが…そのことについてはまた後日お伝えしましょう)

応用力を身につけるためには、「習うより慣れよ」の精神が大切です
まずは完璧な答案を書き写し、「なぜそのような発想が必要なのか」「どのような思考回路で答えまで導けているのか」をきちんと理解することが必要です
理解したうえで、「自身の答案をそれに近づけられるのか」を考えていきます
オリジナルの解答ではあるのですが、あくまで「お手本」に近づけていくこと
作法として抜かしてはいけない部分をきちんと記載することを覚える
そうすることで確実に能力は向上していきます

●ある程度解ける生徒について

ある程度の能力があり、解答作成能力を有している生徒については、答案を逆に与えません
「どうやって解くのか」「どうやれば部分点がもらえるのか」
その点を意識して、とにかく「何かを作り出す」ことに傾注します

答案作成能力は、別に正解を探す旅だけではないわけです
自分の考えた方向をきちんと相手に伝わるように伝えていく
それもまた大切なことなのです

それを考えた際に、答案を作るためには、模範解答を見ないこともまた大事です
模範解答を見て、「そうだったのか」と思っている内は、ぜったいにその問題を解答することはできません
自分自身の解答を作成し、「これで合ってますか?」と尋ねられるようになる
これが第一段階
自分自身の解答と模範解答を照らし合わせ、「同じ流れで書けているな」となる
これが第二段階
自分自身の解答と模範解答を照らし合わせ、「このような解答方法があるのか。また別解ではこうなっているのか」となる
これが最終段階です

すべてにおいて共通しているのは、「できる子は独自の発想を認め、他人の発想もまた認めることができる」ということです
そこまでたどり着けば、おそらくその単元で分からない内容や解けない内容はないでしょう

もちろん上記の内容にそぐわない分野もたくさんあります(整序問題など)
それでも少しアレンジは必要ですが、大枠としては今まで記載した内容に則して学習を進めてもらえれば、必ず成果は出ます

今回は特に後者で記載した「応用問題」についての学習の参考書をご紹介しましょう

速読のプラチカ―英語長文 (河合塾SERIES―入試精選問題集 3) 改訂版/河合出版
¥977
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河合出版の参考書は、考えさせる問題としては適切なものが非常に多く、私も愛用しているものが数多くあります
特にプラチカシリーズは顕著で、努力をきちんとしていれば、必ず成果が出るものになっています

マーク式総合問題集 国語 2015 (河合塾シリーズ)/河合出版
¥1,080
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センターの内容を踏まえる時にも、河合出版のものはレベルが非常に近しいのでいいと思います
さらにできる子については物足りなさもあるのは重々承知ですが、妥当ラインを探すためにはいいのではないでしょうか

丸付けを自分でやることを2回に分けてお伝えしましたが、いかがだったでしょうか
いろんな自分自身の立ち位置があるので、それを大切にしながらも、さらにレベルを向上させるための自己研さんを積み重ねてほしいと思います

先日も、ICT教育のことについてブログを更新しました
今回ニュースになっているのは、まさに現場の保護者の感覚と調査がずれていないと感じます

さて、この前のことですが、小学生と話をしていた時のことです
その生徒は夏休みということで、塾の授業の後に映画に友達と観に行く約束をしているとのこと
「でも、ネットで調べても何が面白いのかなかなか選ぶのが難しい」と話をしてくれたので、
「ああ、小学生でもネットで調べ物をする時代になったんだな」と感じたものです

でも、パソコンとかスマホをそれだけ駆使できるのか、少し疑問があったのでそのことを尋ねてみると、
「え、ネット検索は3DSでやってるよ」と返ってくるのです

私の中で携帯ゲームでネットができることは知っていましたが、小学生の子供であれば「通信対戦」やマクドナルドに設置している無料Wi-Fiによる限定アイテムのゲットなど、あくまで「ゲームとして活用」するものだと思っていたので、びっくり!
少し突っ込んで聞いてみると、家では専ら3DSとWiiでネットを楽しんでいるとのこと
ほしい情報について、時々は規制に引っかかってしまうものの、あまり不自由なくインターネットで調べ物をしたり、情報を入手しているようです

私は基本的には青年期に入るまでの情報の過多はあまりよくないと思っています
子供は純粋で、思想に影響されやすいですから、正しい価値判断ができるまでは、子供は子供らしい世界でのびのびと活動させてあげたほうが伸びるという考え方です
ただ、現状情報化社会の波は、確実に子供に侵食していっています

なぜなら、「子供」「女性」「高齢者」は現代日本において、3大ビジネスのフィールドだからです
その方法が悪いとも思いませんし、当たり前の流れの中で当たり前のことが起きているようには感じています

だからこそ、保護者と子供とのコンセンサス、言い換えれば躾の部分でネットについての共有化は必須です
それがなければ、社会の中で、ある特定の一方向につながる考え方や価値観が身についてしまうからです

別に、どういった思想であれ、日本の思想の自由が保障されている世の中においては、かまわないとは思います
しかし、「自己の判断」で物事を決められるようにならなければ、どこかで「周りが今の私をこのようにしてしまった」という気持ちを持ってしまう
それもまた事実でしょう
そして、そうなってしまうと、私もよく経験しますが、塾での指導は困難を極めます
つまり、第三者の指導においてマイナスの影響が非常に大きく出てしまうのです

インターネットは昔の「通信回線」だけでなく、巷に溢れている「Wi-Fi」「公衆無線LAN」を含めていつでもどこでも活用できる時代です
今一度、お子様とその点を話し合う夏休みにしてもいいかもしれませんね
今回から暫くは、【功罪を考える】と題して、「これって正解ってないんじゃないの?」って事柄を、私なりの価値観でお伝えできればな、と思っています
ちなみにこの先のテーマとか全く考えずに書き始めていますので、途中で急にテーマが変わったらすみません…

ちなみに前回のテーマであった「単元理解と定着について」は下に一覧として提示しますね
単元理解と定着について【小学生編】
単元理解と定着について【中学生編】
単元理解と定着について【高校生編】

●宿題の丸付けをさせるのか?させないのか?

さて、塾で勤務する者として、絶対に外せないのは「生徒への宿題」となります
その宿題を提示する際に一番困るのは「丸付けを自分でさせるのかどうか」です

もちろん、自身で取り組んだ学習に対して自身で、
「できているところ」「できていないところ」
をきちんと分け、さらにできていない部分から、
「もう一度考えてできるところ」「2度考えてもできないところ」
を分類させ、最終的に「できないところ」を授業の中で解説する
長々と書きましたが、それが宿題の意味であるというのは紛れもない事実です

ただ、こう思うところはありませんか?
「答えを見たら、その答えを覚えてしまうのではないか」
「答えを見て、それに近しい解答であれば、『答えと考え方は似ているし、大丈夫』と変な自己満足なり、結局できないまま通り過ぎてしまう」
「答えを見て、自身の答案を書き換え、あたかも合っているようにしてしまう」
などなど…
確かに、人は疑うことで物事を見抜くこともありますし、上記内容もまた事実です

逆にこういう意見もあります
「丸付けをしないのであれば、ただ解いたらいいだけ、となってしまう。それでは宿題の本来の成果は出ない」
「宿題で×だったところが分かるのが遅れれば、なぜ間違えたのか。どのように解いたのかを忘れてしまう」
「宿題の丸付けを親にゆだねられても、共働きでこれ以上子供の勉強の面倒を見られないから塾に頼んでいるのに…」
などなど…
これもまた事実であり、我々教員サイドとしては「どうすればいいんだ」となるわけです

●まずは宿題の意味をきちんと付けることから始める

こういう意見が飛び交う中で、私は2つの分類を実施します
1つ目の分類は、「できたことを確認する」ものなのか「できていないことを確認する」ものなのか、です
2つ目の分類は、「基礎内容の反復練習」なのか「応用問題の実践演習」なのか、です
この2つの分類によって、内容はぐっと変わってきます

●できているのか、できていないのか

さて、1つ目の分類である「できたこと」「できていないこと」の確認ですが、私は「できたことの確認」をする際には、答えを渡して丸付けをさせます

それは、ごまかしや不正が行われても大丈夫です
もともと、授業内で「できている」と判断しているので、多少のことは目をつぶりながら(もちろん宿題をやってきていないのにやった振りをすれば叱り飛ばしますが)、やってきて、できていることを生徒の実感として感じてもらいます
そして、同様の問題(学力レベルによりますが、宿題と全く同じ問題や、同じレベルの問題)を次回の小テストで確認し、解けていればよし、とするわけです

一方で、「できていないこと」の確認ですが、答えを渡しません
生徒には「完璧な答案になったと思って解いておいで」と伝えます
次回の授業の際に真剣にやっていると感じられなければ、再度やり直しを命じ、不正については髪の毛一本たりとも見逃さないレベルでチェックを入れます
生徒は「この人はズルをしても大丈夫」と思った瞬間に、やる気のレベルはゼロになりますから、舐められたら終わりだということです
ただし、生徒が本気で解いてきたら、たとえ全ての問題が不正解であっても、きちんとやってきたことを称賛します
そして、できなかったことは我々の責任であると謝罪します

●なぜ「できている」と「できていない」で差をつけるのか

この区別ですが実は宿題をやる、ということに「できる生徒」と、「できない生徒」では大きな隔たりがあります

「できる生徒」は、できることを認めてもらいたいわけです。そのレベルに多少の差はあれ、「できているよ!」とアピールしたいのです
そのアピールにこたえるために、「家できちんとできている」「塾でもきちんとできている」ことの2段階での称賛を行う機会を設けてあげれば、劇的に成績は伸びます
逆にサボった時はどちらかに不正が見つかりますから、それをきちんと適切に指摘してあげれば、「次から頑張ろう」となるわけです

逆に「できない生徒」は、宿題に○×がつくことに拒否反応があります
なぜなら「どうせできないんでしょ」「どうせ間違えたらやり直しなんでしょ」という宿題に対して斜めに見る視点が完成されてしまっているからです
となれば、宿題は「やってくることに意味がある」という観点で接さないと、まったくもって効果を得られないこととなります
できる、できないではなく、宿題に本気で向き合えたかどうかをしっかりと見つめ、できていないところは我々の指導力不足だと認める
そうすることで、「もうちょっと頑張ろうかな」となってくれるわけです

●続きはまた明日にでも

少しこの内容でお伝えしたかったことが長くなってしまいました
2つ目の分類については次回に回したいと思います
最後に、「答えを渡してもいい本」と「答えを渡さないほうが良い本」について、私の私見ですが2冊挙げておきます

中学教科書ワーク 三省堂版 ニュークラウン 英語1年/文 理
¥1,274
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教科書ワークは「できること」を確認するべきものの代表的な1つです
教科書ワークに取り掛かる前に、「教科書の本文の理解・暗記」「単語の理解・暗記」「文法事項の理解」ができていることが前提です
「教科書ワークだから、とりあえずやっておけ」では、ワークはただ単なる演習ブックだけで終わってしまい、意味がありません
レベルが一番低く設定されていますから、「できること」を前提に進める必要があります

最高水準問題集 英語1年 ([新学習指導要領対応])/文英堂
¥1,026
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一方で、問題集レベルになると、教科書ワークはできるのに、手が付けられない子が続出します
「理解」ではなく「暗記」で乗り切ろうとする生徒は特に顕著に見受けられます
そういった生徒へは「できる・できないではなく、ここまで考えたんだという答案を持っておいで」と伝えます
偏差値がある一定以上ある生徒でも、同様です
つまり、「できないことをできないときちんと表現できる」こともまた素晴らしいんだ、と伝えるわけです
そうすることで、生徒は「不正をしなくても、きちんと自分を見てくれているんだ」となるわけです

課題の課し方一つとっても、生徒のモチベーションは大きくアップダウンします
その観点をもってあたることで、きっと生徒(子供)は今までよりはやる気をもってがんばってくれるのではないでしょうか

ちなみに、問題集がある程度すらすら解ける子については「答えを渡して丸付けをさせる」ことをしますし、教科書レベルでつまずいている子には、ワークであっても「答えを渡さず考えさえる」ことを指示します

テキストそのものでレベル分けをするわけではなく、テキストをどう使いこなすかでやり方を変化させていると考えてください

次回は、2つ目の分類である、「基礎内容の反復練習」なのか「応用問題の実践演習」なのか、について議論を深めていきたいと思います
この分類でも結構複雑な思いが入り組んで指導に取り組んでいます
また見つけて、参考にしていただければ幸いです


高校野球が二日遅れで開幕しましたね
今日は晴天にめぐまれ、選ばれた代表選手は気持ちいいくらいの汗をかきながら、熱意と喜びと、そして感動に包まれたひと時を過ごすことになるのでしょう

さて、夢の始まりと言われれば高校野球からプロ野球にすすむ道が日本では一番明確なスタートラインではないでしょうか
それならば、高校球児以外は全て夢がないのか
そんなことはありません
パティシエも、消防士も、どんな仕事でも夢と憧れを持つことは非常に大切で、その実現に向けてたゆまぬ努力を積んでいくことが求められていきます

私は仕事柄、「医学部」「薬学部」「看護各部」そして「建築学部」と理系の学部に進学する子の相談を多数受けていますが、彼らの中に持っている夢も千差万別です
幼いころに見たマイホーム建築現場がきっかけで建築を目指す子
自身の体が弱くて、同じ立場の人を守ることに目覚めた子
親の跡継ぎのために、同じ職業を選ぶことを決めた子

どんな夢であっても(それがたとえ親が望み、強制されたものであっても、です)、それに向かってたゆまぬ努力を積み上げるのか、それとも「まあほどほど頑張ってけどやっぱり無理だよね」と諦めるのか
当然前者がいいわけですが、なかなか全員がそんなうまくいくわけはありません

私はそんな時にどんなアドバイスをするか
それは、「大人になったね」と言います
妥協すること。諦めること
それは全てが悪いことではなく、「自分自身はその方向に向いていなかったんだ」と気づくきっかけでもあるわけです
つまり、「他の打ち込める何かを見つけられるチャンス」をつかんだというわけです
ケースによっては、折れた心を修復させ、また走りだせる子もいます
また別のケースでは、全く異なる方向に走りだす子もいます

子供の時は「ノーベル賞をとるんだ」「宇宙飛行士になるんだ」「プロ野球選手になるんだ」など、壮大な夢が広がります
その夢は、「研究者になるんだ」「技術者になるんだ」「スポーツメーカーで働くんだ」という形に変化していくかもしれません
その妥協は大いに結構
目標や目的は、成長につれて変化していき、いずれは「自分が背伸びしてできること」に収束していきます
その中で全力をつくすことができればOK!
無理や無茶な目標のまま突っ走ることの方が、後悔が大きく、またそこから立ち直ることも難しくなっていきます

この夏、とことん頑張って、「良い意味での妥協」か「そのまま夢を追いかけるのか」
試合の終わった高校球児のように、「出し切った」という表情で9月を迎えてほしいものです