とある塾長の呟き -4ページ目

とある塾長の呟き

日々指導をしている中で感じていることや、
置かれている業界の環境など、とても多岐にわたる内容ですが、書いていきます
興味を持ってもらえれば、幸いです



昭和生まれ、平静を学生として過ごしてきた私としては、「平成元年」なんぞすぐ最近の出来事のように感じますが、実際は四半世紀以上も経過しているわけです
となると、ベルリンの壁の崩壊やソ連のペレストロイカなど、我々の世代では「時事問題」として扱っていた項目が既に歴史の方にシフトしていることも、今現在進行中の事案になるわけで

今回の近現代史については、記事の流れも当然踏まえる必要もあるでしょうが、歴史の区分をしっかりと分け、新たな1ページをどんどん追加していくことに有効であると感じています
事実は1つでも、見方によって多数のとらえ方ができるのが、歴史であり、歴史観だと思っています

たくさんの価値観を得て、ものの見方を多角的にできる人材が多数生まれることに、期待したいものですね
久しぶりの【功罪を考える】シリーズです
今までのラインナップは↓に
【功罪を考える】丸付けを自分でやるということ(その1)
【功罪を考える】丸付けを自分でやるということ(その2)
【功罪を考える】静かなところでないと勉強できない、について

今回は、「隙間時間」と言われる時間をどう使うのかについて考えていきます

世の中、隙間時間というのはたくさんあるわけで、今思いつくだけでも
・学校へ行く時の電車の乗り換え時間
・授業の合間の休憩
・お昼休み
・部活の練習の合間
・家に帰ってご飯の支度を待つ間
・食事をとる時間
・トイレをする時間
・風呂に入る時間
と、数えきれないほどあるわけです

また、
・模試の合間の休憩
・資格試験の解き終わってからの時間
なども隙間時間に入れてもいいと思います

さて、これらの時間をどのように使用するのか
人によっては「休憩もなければ息が詰まってしまうから、隙間時間はゆっくりするべきだ」と考えるでしょう
それももちろんありだと思います
ただ、私はそれでもあえて「隙間時間を有効活用して勉強をしてほしい」と考えています

時間にひっ迫している状況で勉強を積むことで、人間「焦り」と「緊張」から記憶の能力が向上します
ゆったりとした時間の中でこなす勉強よりも時間単位の効率化が劇的に向上します
さらに、細かい時間をうまく使えるようになると、自身がどのように学習すれば目標に到達するのか、その試算もできるようになります
結果、間に合わせるようにしていこうとすると、どのタイミングで固めて勉強時間を稼ぐようにすればいいのか、計画性も、計画の進捗のずれも精度が上がってきます

勉強の内容については人によってそれぞれですが、一度細かい時間をうまく使ってみてはいかがでしょうか
きっと見える世界が変わってくるはずですよ


原発の再稼働を含めた議論が盛んになるのは、電力供給が多量に必要となる夏と冬であるのは事実なのですが、最近どうもずれた方向に議論が進んでいるような気がしてなりません
そう思うのは私だけなのでしょうか?

私は原発推進派でも反対派でもありません
原発がなくなれば、電気料金が上がることは避けられないでしょうし、二酸化炭素の排出量の問題も発生するのは当たり前です
太陽光発電含めた自然エネルギーの安定供給には、電力を運ぶ際のエネルギーのレスを減らさなければならないですし、蓄電池の高性能化も必要です

さて、話題が逸れる前に戻しましょう
今何が一番問題かといわれれば、それは「結局自己の原因は(地震は自然災害だから仕方がないとしても)誰が作ったのか」「その責任は誰がとるのか」「最終的にどのように帰着させることが決着なのか」ということです
日本の今までの「全員の責任です」では、信用されないのが今回の事案であり、うやむやになっているからこそ記事のように蒸し返す論議が行われるわけです
チェルノブイリの事故については、(いいか悪いかではなく)隔離地域を設けることで、一応事の収束は行われています
今回は、全くそれが見えてきません
ネットでは種々議論が尽くされるほどされてきていますが、結局公式見解として発表されていることはゼロに等しいレベルです

私も以前仙台や松島、気仙沼の地域に行きました(震災が起きてからです)
どの地域も地震の爪痕が見える部分、見えない部分があります
しかし、どの地域も、「震災があった」という事実しか見えてきません
どの地域が危険である、どの地域が安全であるという区分がないため、「なんとなく不安」「なんとなく安全」と思うしかないわけです

阪神・淡路大震災を経験した身からすれば、もう少し明確に、一部の人には不利益と苦痛を強いることになるかもしれませんが、はっきりさせるべきではないかと、思うわけです

京都の送り火はなんtか実行されたみたいですね
これは人からの話なので事実かどうかわかりませんが

ちなみに、京都弁と関西弁と神戸弁は微妙に違うので、各地方の人は口をそろえて「違う!」というので気を付けていただければ(笑)
では今から週末の見回りに出かけたいと思います

意外と説教しなきゃいけない人は少ないんですけどね…



人の心は十人十色では表されないくらい多岐にわたり、かつ共通部分と相いれない部分が複雑に混ざり合っているものであると私は思います
だからこそ、共通する部分での安心感と、異なる部分での知りたい願望が相まって、人に対する興味や恋愛感情に発展するものなのだとも考えます

期間を経るごとに成長する作品
見る人の心に訴えかける抽象的なメッセージ

近現代の作品にはそういった言葉がたくさん込められているように感じるのです
だから感想は言いません
まずは行ったときにどのように感じるのか
それを大切にしてほしいと思います

日本人だけで1億2000万人います
必ず同じ価値観の人は必ず存在している
そう感じながら鑑賞することで、また違った視点が広がるのではないでしょうか