ども。今年も終わりが近づいてきましたね〜。このままだと更新しないまま時間が経過してしまいそうなので意識的に更新しようかね。今年も良い年でした。極めて悪いことが起きない限り、良い年と考えてよい。イェ〜イ。投資系の動画を見ていると「見栄に金を使うな」みたいなことはよく言われていて書籍にも書いてあるらしい。見栄に金…?ミエニカネ〜〜。いやあもちろん言っていることは理解しているし、そういう行為に走る人間がこの世には存在することも理解しているが、正気の沙汰とは思えねえ。ああでもこれはいわゆる悪い意味での見栄張り行為を俺が毛嫌いしているからか。ふむ。あ!今までこの思考やってこなかったんだけど、美学的文脈で体裁を取り繕うこと、ハードアンドルーズでも描かれていたハードボイルドとしてのやせ我慢、強がり、武士は食わねど高楊枝、これらも構造的には実態とは異なる取り繕いであり、「見栄っ張り」である。でも俺は後者は大好きで、こうやって今文字を打ちながら恐らく結論は出たと思うんだけど、動機が醜い自己顕示や虚栄心なのか、個人の尊厳によるものなのかによって評価は180度変わるな。これのはず。話逸れ之助だがいいとしよう。また書きます。
今年は何度も陰と陽のことを考えている。あるいは、仏教学の授業で「嫌なことがあるからいいことを認識できる」みたいな話があったのを思い出す。ありふれた話ではあるものの、この法則はだいぶ広い範囲に対して適用できると思う。永遠に続くかのような不幸もこの世にはあり得るぞみたいなそういった話はいったん置いておき、もう少しマイルドで平凡な日常においての話である。仕事に負荷がかかるとその日の酒が美味い。時間を空けて吸う煙草は美味い。外で疲れたら家に帰るとホッとする。腹が減ったら飯が美味い。疲れた日はぐっすり眠れて気持ちがいい。一時的な苦労はその後に訪れる幸せさを底上げしてくれると考えれば、悪いものではない。逆にうまくいっていることに油断していると、ちょっと逆行しただけで気分が悪くなってしまう。鈍る。毎日高級なものばかり食っていたらきっと次第に慣れ、おいしいと感激することもなく日常に収斂される。じゃあ辛くて嫌なことを歓迎するのかよというともちろんそうではないが、「まあいいか。この後飲む酒はいつもより美味くなるし」と捉えることは、事象単体の損を受け止めて嫌だ嫌だと嘆いて暗くなっているよりも精神的に健康的である。と思っている。自嘲するなら、無限に快楽を享受し続けることが叶わない市民の涙ぐましい生活の知恵とか極端なことも言えてしまうが、単体としては一時的に望ましくないことを、もう少し視野と期間を拡張して、物事の連続性と関連性を意識して、幸福のスパイスにする工夫のなにが悪いんだコノヤロー。常に頂点でい続ける人生など市民には不可能なのだ。例えば何か解決しなければならない望ましくない出来事があり、解決方法を調べていたら知識が広がって、おっ、この知識人生に有益じゃん、今回のトラブルがなければ知る由もなかったことを知れた、ある意味良かった!みたいなこともなくはない。
スマホを触れる時間が減り、そして触れる時間でもなるべく触らないようにしている。今は記述のためにスマホを触っているが。ふむ。デジタルデトックスみたいな話も冗談でなく大真面目に論じられたりサービスとして旅館が提供し始めたりしているよな。ほええ。デジタルデトックス、みたいなお題目を掲げないといけないほど、デジタルを引き剥がせないところまで来ているのかもしれないね。凡庸な雑記。ブ、ブログなんだから別にいいだろォ!(錯乱)
YouTubeに投稿しているお父さんの一部で、動画の繋ぎで自身の幼児に「チャンネル登録よろしくね」みたいな言葉をたどたどしく言わせているの、結構なレベルで好まない。聞いていられない。ウシジマくんサラリーマンくん編の目が血走った隣人「お前が思ってるほど周りは可愛いと思ってねえぞ」と夜泣きにクレームつけたジジイと、恐らくは近似した感情である。俺は狭量だねえ。でもこの、個人的な愛をニッコニコの100%スマイルで披露されるのって居心地悪いなあというのは確実にあって、自虐的に評すのであれば狭量なんだが、残念ながら俺は昔からあった。スマホで写真を見せはじめるや否や「えー!可愛いー!」みたいなのが始まった時の、早くこの話が終わらないかな感。表明してよい感想は完璧に固定されていて、それ以外のコメントは決して許されない予定調和の会話。今は忍法透明人間の術でやり過ごせるようになったが、昔はなかなかに精神に来るものがあった。恋人や家族やペットや、愛を注ぐ生物であればなんでもいいのだけど、あまりにも個人的な話なので渦中の当人とは愛情値が違いすぎてテンションがまるで違うのに、当人のテンションに近づいたリアクションを要求されることが苦痛で仕方なかった。こういうこと書いていると常々思うが、全くそうは思っていないのに特定のリアクションを最初から強制されること、俺本当に嫌いなんだな。無論、愛するものがあることは素晴らしい。いいと思うよ。俺にだって、個人的に愛する対象はある。でもそれは俺以外の大体の人間は別に愛していないので、俺がある特定の何かを愛しているって表現を雑に他者にぶつけて、ぶつけっぱなしで何の発展もなく、周囲は俺の愛に同調してリップサービスしなければならないというのは、コミュニケーションとして俺は気が引ける。そして、すべての人間は気が引けて欲しい。YouTube動画は別に厳密なビジネスではないし、視聴者である俺は金を払っている客でもないし、誰しも好きに投稿する自由はあり、俺が投稿者に対してこういった狭量なコメントをしたいなんて思わないし、コメントしたことは人生で一度もないし、永遠に直接伝えることはないし、可愛いですねとコメントをつけなければ視聴権限を剥奪されるわけでもないし、基本的には有益な動画をありがとうだし、これら諸々について俺の方が正しいとは言わんが、ため息をついていることぐらいは、この空間では嘆かさせていただくことをお許しいただきたい。いやだってよ、じゃあ会社とか宗教とか、現代で無批判によいとは思われていない集団を心から愛していてそして愛されている人間が、「チャンネル登録よろしくねー!●●さんがんばれェ〜!ワァ〜〜〜!」みたいな大合唱が動画の合間合間に流れてきたら、そのコミュニティそのものを殊更に批判したいわけではないけど、ギョッとはするだろ。それは動画とは別の、知られざる場所でやってほしいなあぐらいは思うだろ?