何かを書きたい。しばしば胸に去来しているのは兵藤会長の「命はもっと粗末に扱わねばいかん」である。これは何度か書いているはずだ。大切に扱おうとすればするほど濁り澱んでいく。陰陽っすね〜〜〜。雑にリスクを取りに行くことや、投げやりになって身を投じること、そういった不正解から開かれる道もある。いや別に俺の人生のメタファーとしてこれを語っているわけではなくて、一般論として、こう思う。あと「不正解からしか開かれない道もある」って本当は書きたかったんだけど、「しか」の濫用をこの世で最も憂う立場として、会長として、意図的に使用を避けてしまった。ああ、また呪詛の念になるが、割と厳格なエピソードとしての謝意を取り上げるニュースのインターネット記事で「感謝でしかない」との見出しがあって、激怒しましたね。頭を掻き毟り、顔を真っ赤にして、唾を四方八方に飛ばしながら、この世はいよいよ狂っちまったッッッ!と絶叫しました。はあ。型があるから崩しもあるんですよ。「しかない」を魅力的な崩しだとは一切、微塵も、露ほども、いささかも思いませんけど、無限大数譲って、それが流行しているウィットに富んだ人気の崩しだとして、その一方で対になる型は当然に必要であり、型を担うのはオフィシャルめいたものである。つまり、例えば企業がリリースするニュース記事である。それを、若作りした中年が痛々しく若者言葉を使うかのごとく、なにみだりに崩してんだよ。易々と媚びるんじゃないよ。あるいは媚びているのではなくて、単純に若年層が担当した記事だとか、ジジイのくせに絶望的にバカだとか、IT化によって発信可能な量が増えて速度も求められて紙と違って修正が容易なため校正工数を著しく減らしているとか、単に引きのある表現でアクセスを稼ぎたいとか、色んな可能性はあれこれと想像しますけどね。まあでも生まれてからこういう表現以外に接することなく育ってきた人間は、「そういう言い回しなのかな」となっていくよな。それについては仕方がないと思っている。俺だってかつては不適切だった表現をかつて不適切だったと知らずに不適切でないものとして受け入れ、時代に許されているから大手を振って表現できているものもあるだろう。だからと言ってなんでもかんでも流行り廃りでどんな言い回しも許容されるべきだとは全然思わなくて、言葉は時代とともに変わっていくとかいう印籠でなんでもかんでも全てを収斂させていくべきだとは思っていなくて、少なくとも過渡期においては、いやあそれは正しくないよと小言を言う老害がいるべきだと俺は思う。今日はここまで。
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自分の中でなぜなのかをすぐに突き止めることはできないが、心に引っかかりを覚えることの輪郭を紐解いていくのが好きだ。あるいは、すでに結論や是非が直感的に決まっているが、過程の式が分からないもの。あるいは、見いだせた過程の式に欺瞞や誤謬がないかの検証。こういったものを自分の中でゴニョゴニョしたり、知的な知人に見解を聞いてみたり、最近ではなんとAIに壁打ちしたりすることに、俺は結構な時間を投下してきたように思う。今では趣味であり娯楽的要素が強いが、不慣れな10代〜20代前半ぐらいまでは、尊厳にかかわる真剣勝負だった。正しさバトル。二度ほどアイデンティティクライシスのようなものも体験した。今、上級者とまでは言わないが、マシにはなったと思う。自己満足の域を出ることはないが、やってよかった。もしあの蒙昧な10代の頃のままでいたら今頃どのように過ごしていたのだろう?それはそれで今よりも幸福な可能性も当然残るが、まあその線は無視でいいかな。と、思う。この、中途半端に感度があるくらいならいっそ何も分からん方がむしろ幸福なんじゃないか説への反論は今はよいだろう。ふむ。そろそろ寝たいので、冒頭で終わりみたいになってしまうが今日はこんなところで。
久しぶりに書くか。ぼちぼち期間が空いた。アマゾーソのセールが開催されている。イエ〜イ!買いたいものがない。必要に迫られて購入するものはあったとしても、人生に新たに足すような心踊る物品はなかなか存在しない。これは物品側ではなく、恐らく俺の問題である。踊らせるパワーが物にないのではなく、踊るパワーが俺にないのである。知られざる、あるいは気づかざる優れた物品で日々の生活における自分では気づけないぐらいの不便さや不快さに気づき取り除けないかとAIに相談する始末。良さの追求よりも良くなさの排除に俺は関心があるのだ。嫌なことって嫌だ〜(トートロジー)。
まともさに心が満たされる。もらい事故のような若干の炎上をした普段は善良な動画投稿者が、言葉を選びつつも恐らくはやや神経質になっていた。そうしたら、その動画投稿へのコメントに、「攻撃をされているように感じてしまうかもしれないが、あなたは概ねそこまで責められていないように見える。気に病まずに少し休んでほしい。応援している」的なメッセージがいくつもあり、まともなだな〜と思った。いや、ちゃんと追っていないから本当のところは知らんけどなんだけど、きっとその見立てはまともなはずで、愛がある。「初めてコメントします」みたいな投稿もいくつかあった。緊急事態にサイレントマジョリティが参戦。ありがて〜。見える化されはしないが、糞ワールドの少々の糞を自分の中で浄化して日々を黙ってやり過ごしているまともな人が大半だと思っている。目立つ物を見れば糞だらけのようだからと言って、この世は糞まみれではない。確かに糞はある。だが糞まみれではない。ふとした時に、まともさのそれなりの大挙を観測できると、心が安らぎますね。まともさとは何か?それは知らん。俺がまともだと思うものである。