よく、企業は消費者心理を徹底的に狡猾に突いて魔法のように顧客を購買行動に結びつけてくるみたいな、供給側を百戦錬磨の圧倒的強者と見なす言説があるけど、甚だ疑わしい。マーケティングなどと大層なことを謳いながら何の知識も経験もないわけのわからない頓珍漢な集団から糞出される、得体の知れないギャグもこの世には普通に存在する(負けティング)。だって、気付いたら必要のない大量の衣服を買っていたとか、ものすごい金額の契約をローンで組んでいたなんて普通ないでしょう。あと会社は全然倒産するし。アルバイトが調理場で食材にいたずらした動画をひとときのバズりを求めてインターネットにアップロードするみたいなことすらも止められていないし。いやこれは誰しも止められないか。ふむ。労働者がすべからく真っ当かつソルジャーであるはずがない。何もかもを見通し、市場や顧客をコントロールし、遅滞なく過不足なく自社の利益を最大化などさせているはずがない。自分のことも含め、高く見積もりすぎじゃないっすかね。


疲労が蓄積している状態でさらに活動を続けるの本当によくない。先日心身ともに疲れきった状態で電車に乗っていたら、昨今は何のストレスもなく流せるようになったはずの些細なことにも神経がささくれだってイライラした。よくないわ〜。精神的な余裕がなくなる。10〜20代の頃の感覚に近いものがあった。俺は当時慢性疲労だったのだろうか…?知らん。若さから無理がきいていたということなんだろうか?ふむ。ムカつくみたいな精神的損もよくないし、パフォーマンスも落ちる。注意力が散漫になり、集中力が激減し、脳の働きが明確に鈍くなる。やる気、責任、報酬、楽しさなどで一時的なドーピングは多分可能で、そのようにして活動限界を突破すると引き換えに対価を得る(金には限らない。立場、資格、経験、なんでもいい)期間も人生には時に必要だと俺は思うが、そういうものが別段なしに単に疲労のみが山のように積み重なっていく環境は人体にはかなりキツいように思う。日常に暗雲が立ちこめる。メリ・ハリつけていきたいっすね。


可愛いと思っていた著名な人間が明らかなSAY Kにより俺にとっては可愛くなくなってしまった時、悲しい。勝手ながら。いや俺の趣味に合わせるはずはないことなど百も承知だが、嘆かささせていただきたい。ルーキーズムが社会問題化しているような記事もたまに見かけますねえ。かつて、美容SAY Kを俺は肯定していたが、それは現代社会の美醜感覚からは著しい外れ値で社会生活で損をしまくり、心ない妖怪から意地悪され、どうしようもないコンプレックスになり、解消しないと人生が立ち行かないような人間に選択肢が与えられる環境を基本的には肯定していたのであって、現代のカジュアルさはさすがにやべえだろと思う。小学生もやっているみたいなのはさすがに極端な事例だとは思うが、大学生ともなると恐らくだいぶ身近なのではないか。知らんけど。いや俺が大学の時もしている子は何人もいたからね。今はもっと全然多いのだろう。ふーむ。この文化は巻き戻るんですかねえ?それとも不可逆なのでしょうか。規制が入らない限りは不可逆な気がするなあ。規制する根拠もないしな。単なる個人の趣味の範囲に留まる話なのであれば好きにすりゃあいいんじゃないのとも言えるが、容姿がいいと就活でも得をするみたいな無視し難い現実的な事情もあるし。それが生まれつきなのであれば全人類は運命によるものとして運ゲーで処理できるが、金額的に普通の人でも一応可能な課金余地と社会的な理解があると目下で有利な行動をやる人は増えていって、無課金でいることが段々とリスクになってしまうわなあ。いじるのがデフォみたいになったら地獄ではないか?技術がこれからも極端に発展し、安全かつ安価になり、髪を切り髭を剃るかのごとく誰もが顔面をいじるのがドレスコードになって、いじらない人間はマナ悪みたいな世界線もあるんすかねえ。もうそれならそれで好きにすりゃあ良いですけど。どうでもよくなってきました。ではまた。