前回の投稿ふざけていたら文体を戻すタイミングを見失ってわけのわからないことになった。ふむ。決めつけますけど、彼らは絶対にラストの予想なんてできていなかったね。「人気のある頭脳バトル漫画の結末を容易に見通せる俺」みたいなよくわからない嘘丸出しの後出し捏造が彼が考え得る周囲からの知的評価を最大化する手段ってのは、悲劇である。ことが起こった後に湧いてくる「やっぱりね」「だから言ったじゃん」勢も構造はほとんど一緒で経験上男に多いと思うが予想の的中を自慢したがる人間は一定数いるし甚だしくは予想していなかったのに予想していたことにするみたいなわけのわからない現象さえ、しばしば観測される。予想というものは恐らく、もう少しスキル的に寄せた表現に変えれば予測力というものは、極めて価値の高い能力だと本能的に直感されていると思う。男は特に。本能を考える時に狩猟時代まで遡るのが本当に適切かどうかはちょっと分からないが合点いきやすい場合が多いなとは思っていて、謙虚に言えばこじつけやすいぐらいのものなんですけど、一寸先は闇で選択した行動が生死を分ける環境下においては、予測力は超重要である。このあたりは食料がたくさんあるだろうとか、このあたりは危険な動物がたくさんいるから離れようとかの予測精度の高さは範馬勇次郎のように地球最強生物でもない限り最重要クラスの能力だろうから、そういうところから来てるのかな?狩猟を担う男に多いってのも整合性がある。風が吹けば桶屋が儲かる、バタフライエフェクト。予測は大変に難しく予測精度の高さは高度な複合知の賜物で、連載作品のラストなんてホイホイと簡単に正しく予測できるわけはない。仮に作中で結末のヒントが暗示されていたとしても途中でもっと良い結末を思いつくかもしれないし、打ち切りになって無理やり終わらせるしかなくなるかもしれないし、他の大人の事情で変わるかもしれない。な〜にが「ラストは予想通り」だよ笑。昔は知的領域を軽んじられているような気分になり激怒したものですが、今はそういったものを見かけても出たよ(笑)ぐらいで笑えるようになり昔に比べりゃ健康的な精神状態になったものっすわ。一方で予測結果を強調すべき場面って、例えば集団内でやめた方が良いことに向かって突撃している人間がいたとして、やめた方がよい理由を明確に伝えても当人や周囲がやめる判断を採用せず結果的に集団に被害が出た際に、俺の見立ては正しくあなたたちの見立ては正しくなかったので次回からは誰の意見を採用すべきかもう少し考慮した方が集団にとって利益になる可能性が高いと思いますみたいなことを言う時ですかね。めちゃくちゃ嫌われそうな言い方だな笑。まあなんにせよ水増しして自分を大きく見せるのは俺は好きじゃないね。