「変数にリソースを投下せよ」はミクロの損得においては正解である。変えられないものを変えようとしたり、仕方のないことを嘆いて何もしなかったりするよりも、自分で変えられる部分を変えた方がよい結果に繋がりやすいよというのは、真である。一方で「俺をどれだけ叩いてもお前の人生には何の得もない」「自分の人生をどうにかすることに集中した方がいいよ」などと「責められている側」あるいは「加害者側」が忠告したり、場合によっては煽りに使うことについてははっきりと苦言を呈したい。はっきしと呈しさせていただきたい。端的に言ってそれらは、相手の攻め手を削ぐための詭弁である。それは例えば、仮に俺がお店の看板を破壊したとして、「私は借金まみれで弁償は不可能であり、俺を怒ったり訴訟したりしても弁償費用は得られず君の人生に何の得もないので、私のことなど無視し、速やかに看板を直し、仕事に努めた方が君の人生にとって確実に得である」などと居直るようなものであり、さながら我が物顔で公道に鎮座する犬の糞である。まあとは言え、落ち度のある人間を朝から晩まで探してインターネットで中傷をするのが生きがいになっているような連中は現実問題としているのだろうから、自分の落ち度に比して、あまりにも非難の質と量が多すぎると感じられる時には、その適切な比率なんて知らんけど、そのような煽りの一つも入れたくなるのは分からなくもない。が、悪手で愚策で凡庸だなあって感想にはなるな。ある側面で論理的に正しいことを人類普遍の原理かのように引用するケースはしばしば見かけるが、往々にして悪用かつ詭弁である。